老考酔談


老子―中国古典選 (朝日選書―中国古典選 (1009))老子―中国古典選 (朝日選書―中国古典選 (1009))
(1997/01)
福永 光司

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 あんた、ずいぶんくたびれた顔してるねェ。
 気苦労がすぎてほとほと萎れちまッたみてぇだなァ。まま、ともかくこっち来て一杯やろうや。安酒しかねェが、冷えた身体にゃなかなか沁みるぜ。

 ん? ははぁ、なるほどな、世の中腐り切ってると、わかってねェ輩が多すぎると、みんな騙されてると、あんた、そんでムカムカしてるってわけかい。お優しい人間なんだなァ。間違いとか、不正とか、そういうのが許せねェ質なんだろ?
 そいつぁまア、けっこうなことなンだろうがなァ。
 
――大道廃れて仁義有り、智慧出でて大偽有り、六親和せずして考慈有り、国家昏乱して忠臣有り

 ってな……ん? ああ、こいつぁ老子さまの言葉よ。世の中うまくいってないときほど、あれが良いこれが正しい、あいつが悪いこいつが間違い、だれが凄いやつはダメだと、まあ姦しく騒がれるもんだッてことサ。
 あんたもそんだけ腹立ててるッてこたァ、正義のひとつも気負ってるンだろう? いやいや、からかってなんざいないサ。善い悪いの区別をもたねェ人間なんていやしねェ。どんなヤクザな連中だって、野郎なりに道義ってもンがあるのよ。しかしな、
 
――天下皆な美の美たるを知るも、斯れ悪のみ。皆な善の善たるを知るも、斯れ不善のみ。

 俺たちが良しとも善しともしてることってのは、本当に正しいもんなのかねェ? もしかすると、ひでェ勘違いをしてるんじゃねェかなァ? まア、何が正しいかなんざ俺は知らねェがな、けどこれだけは、たぶん本当なんじゃねェかと思うぜ。

――禍か福の倚るところ、福か禍の伏す所、孰れか其の極を知らん。其れ正無し。正復た奇と為り、善復た妖と為る。

 「それだけのもの」なんてないのサ。それは正しい、とか言われたこともひょんなことから間違いにならァ。道徳家が教える善いことなんざいかにも怪しい。幸せの裏には不幸が、不幸の裏には幸せが張り付いてやがる、つまりはこれだ、この100円玉の裏と表、どっちかだけってのは無理な相談サ。だからよ、

――道の道とす可きは常の道に非ず、名の名とす可きは常の名に非ず。

 善いやら悪いやら言われている間は、善いもンでも悪いもンでもないのサ。逆しまに言いやァ、善いやら悪いやら云々するから、善いもンやら悪いもンが生まれてくるのよ。もし真正に善いもンとか悪いもンとかあるなら、そいつは善いとか悪いとかとは別の次元にあるンだろうな。

――其の白を知りて、その黒を守れば、天下の式と為る。天下の式と為らば、上徳たがわず、無極に復帰す。

 世の中にゃあ白も黒もある。世間様は白黒はっきりつけたがるが、そいつァ世の真相ってのを見たくねェからなのサ。まアみんな忙しいからなァ、ンなもんいちいち気にしちゃいられねェってことなのかね。ともかく、この世界ってのは白か黒かじゃあないンだな。白でも黒でもねェ、しかし白でも黒でもある、かといって混じってるわけでもねェから灰色にもなっちゃいない、どっちでもあってどっちでもない、そういうものよ。
 だからな、あれが善いこれが悪い、こいつが優れてあいつが劣る、そっちは真でこっちは偽だ、なんていちいち振り分けするのは止めにしておくに如くことはないのサ。

――学を絶てば憂い無し。唯と阿と、相い去ること幾何ぞ。善と悪と、相い去ること何若。

 人間、半端に学なんてつけちまうと、世の中ってのがどうにも腐ったもンだと見えちまうンだがな、んなもん意味がねェのよ。「はい」も「いいえ」も違わねェ。どっちも同じ事の両面よ。善いも悪いも分かちがたい、すべてが善くもありゃあ悪くもある。だから、ああしたいこうしたい、こうしようそうしよう、とかまア、腐った世の中正そうとか、世直ししようと発心しても、栓のないことなのよ。

――天下は神器、為すべからざるなり。

 ンなことしたってよ、ほれ、空を見てみろい。都会の空は狭ェからなあ、こういうところで育っちまッた人間は、世の中を自分たちの手でどうにかできると思い込んじまうンだ。けどよ、天ってもンは悠久無辺、人がどうこうしたところで、こいつをひっくり返せると思えるかい? 天の広さを少しでも観じりゃあ、自分のちっぽけさも思い知らァ。あくせくしたって仕様がねェさ。何したところで世界はどうとも変わらねェ。あとは野となれ山となれ、お天道様の赴くままに、飯喰って屁ェこいて寝るだけさ。
 あ? なんだ、無責任じゃないか、ってか? ははははは、いやいや、そうだなァ、老子さまの言葉を引くと、大抵向こうは目くじら立てるのよ。しかしな、そう言うやつは、自然の雄大さってやつがわかってないンだよ。近頃は「自然はすばらしい」とか言うようなやつほど、自然の力をわかってねェみてえだが。

――知る者は言わず、言う者は知らず。

 自然の力ってのはよ、俺たちの想像の遙か上なんだ。それを弁えてりゃあ、自然のことなら何でも知った気になってあれこれ言おうなんざ思ねェし、ましてや、それをどうこうしようなんぞまったく畏れ多くてかなわねェよ。無責任とか言うヤツは、自分が自然をどうこうできると考えているンだな。ま、そういうのは結局、地位や名誉や称賛が欲しいだけなのよ。自分にゃ力があって、その力で自然を従えて、そンで世間に褒められたいのサ。自分は運命を変えられるッてな、まったく、小賢しいこったなァ。

――学を為せば日に益し、道を為せば日に損する。之を損し又損して、以て無為に至る。

 無駄なもンは全部捨てちまうこった。己を削るのサ。あんたにまとわりついてる知識やら経験やら技能やらは、自然を手下にするために出来たもンなのよ。そういう余計なもンを削ぎ落としに落としに落としきって、そうしてはじめて、人ってのはありのままに生きられるのよ。
 ん? はははは、そうさな、ンなことしちゃあ、浮き世じゃ生きていかれねェな。世間様にとっちゃ、そういう余計なもンが、人間そのものなンだからなァ。ま、世知辛い話さ。

――我れは愚人の心なる哉、沌沌たり。

 ありのままに生きる、自然に身を委ねて生きる、そんヤツは、世間様からすればゴミみてェな愚か者よ。だから世の人は必死になって自分を益しに益すのさ。ゴミにされたくねェからな。でもな、益せば益すほど、人はやつれていくもンなのよ。だってよ、でっかい自然をちっぽけな自分でどうにかしてやろうとしてるンだぜ? 無理難題を背負ってるッてこった、そりゃあ疲れて果てないもンかよ。

――古の善く道を為す者は、以て民を明にするに非ず、将に以て之を愚にせんとす。民の治め難きは、其の智多きを以てなり。

 ま、ともかく平穏無事に生きるためにゃ、愚か者になるのだ一番なのサ。この道理を知らねェやつが、あれこれごたごたと智慧をつけて、何が善いやら悪いやら騒ぐのよ。人為の賢しらが幸せを呼ぶこたァない、それどころか、あれこれどうこう手を出しゃあ、幸せはそれだけ遠ざかるもンなのサ。
 あんたはいいヤツだよ。正しいことと善いことを愛し、自分ができることをしたいと望んでいる、まア人間としちゃあ上出来だ。しかしま、いろいろ思うところはあるンだろうが、それはあんたの心を磨り減らすだけだぜ――。

 おっと、もう帰りなさるのかい? 明日も仕事かァ、そいつァご苦労だな、どれ、もう一杯飲んで行きな。安酒だが、俺のおごりだ。
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