敵に塩を送る――敵と相互依存する危険

 隣接した二つの国があり、その一方が他方に依存しているとすれば、それは依存する国にとっては辛い条件であり、依存される国にとってはきわめて危険な条件である。依存されている国は、賢明であれば、他国を依存からすみやかに解放するだろう。   
                                                   ――ルソー『社会契約論』より



 
「敵に塩を送る」という故事成語があります。有名なことばですから、意味をご存知だという方も多いかと思います。元となったのは日本の戦国時代、甲斐の武田信玄は海に面した領国を有しておらず、塩不足に悩んでいました。それと聞いた、ご存知信玄の永遠のライバル、越後の上杉謙信は宿敵の苦境をほくそ笑みつつ眺めているかと思いきや、なんと武田方に塩を送ったのでした。この故事から「敵に塩を送る」とは、たとえ憎き相手であっても、その人が苦境に陥っているなら惜しげなく援助の手を差しのべること、転じて、行動の義理堅さや慈悲深さを表現することばとなりました。

 それでは、この故事成語からわれわれはどのような「教訓」を得るべきでしょうか? 一般的には、あの上杉謙信と武田信玄、並び立つことのない両雄ですら、一方の苦境にもう一方が手を差しのべたのだから、これに倣って、どんなにいがみ合っている相手でも、その人が本当に困っているときは、それまでのしがらみを一時でもいいから忘れて救ってあげるべきなのだよ、とこのような「教訓」を読みとるものかと思います。

 この一般的な解釈によれば「敵に塩を送る」は友愛の大切さをいまに伝える故事である、ということになります。なるほど、これなら小学校の道徳の教材としても十分使えるでしょう。しかしながら、私はこれとは少し違った意味に解釈ができるし、またこちらの方がこの故事成語から、より「正しい教訓」を引き出せると思うのです。

 端的に言うならば「敵に塩を送る」とは「両者が抜き差しならない関係に入った」ことを示す言葉なのです。つまり、助け合いや宥和といった友好的なイメージはここにはなく、むしろ一触即発の非常に危険な状況が塩を送った者―送られた者間に訪れる、そのような予兆を示しているのです。

 どういうことか。まず、上杉謙信はどうして武田信玄に塩を送ったのかを考えてみましょう。言うまでもなく、両者は川中島の合戦をはじめ幾度も矛を交えた宿敵同士です。そこで「宿敵と書いて『とも』と読む」としばしば言われますが、なるほど「宿命のライバルとして、何か友情にも似た感情が芽生えていた」と想像するのは容易いことですし、この友情のゆえに謙信は武田方に塩を送ったのだ、と言われれば大概の人は納得するでしょう。そういった関係がまったくなかったとは言いませんが、私は感情的な理由とは別の、すなわち怜悧な政治的判断によって、塩の提供がなされたのだと推測します。

 「敵に塩を送る」のエピソードが生まれた背景には、武田・今川・北条の三国同盟が崩壊して後、今川が甲斐への塩の流通を差し止めたという、戦国版の経済制裁がありました。謙信はそれに便乗することなく、積極的に塩を送ったかは定かではないにせよ、少なくとも塩の流通にストップをかけることはなかった、これが「敵に塩を送る」という故事に繋がったのですが、たとえば、このとき謙信が信玄に塩を送らなかったとしましょう。すると当然、甲斐の国では深刻な塩不足が発生します。塩は人間の生命維持になくてはならない食物ですから、これは死活問題です。信玄も躍起になって遠国から塩を買い入れるようとするでしょうが、どの商人も足元を見て高値をふっかけてくるでしょうから、十分な量を確保するのは難しい。できたとしても庶民の生活が苦しくなるのは必至です。となればどうするか。塩の産地、すなわち海に面した国を奪い取るほか手はありません。

 謙信はこの事態を恐れたのではないでしょうか。つまり、甲斐で塩不足が続けば、信玄が塩の供給源を確保するため、日本海に面している越後本国に大攻勢を仕掛けてくる可能性があったのです。関東管領になったあとの謙信は、本国を離れて関東地方で戦することが多くなっていました。手薄になった本国を武田の精強な軍団に襲われてはひとたまりもありません。それならばあえて塩を送り、武田が侵略行為に出る動機を打ち消した方が得策だと謙信は判断したのです。それに、武田が塩の供給の面で上杉に依存するようになれば、滅多なことでは越後に攻め入ってこなくなります。ひとたび上杉が塩の供給をストップすれば、苦境に陥るのはむしろ武田の方なのです。戦国屈指の武将である信玄ですから、このことは百も承知です。当面は上杉への攻撃を控え、今川・北条に対する報復戦に集中するのが得策と判断することでしょう(事実、この「敵に塩を送る」以後、武田信玄は主に駿河方面へと軍を向けるようになります)。

 深淵に塩を送った謙信の意図は、ただたんに信玄が困っていたから助けたのではなく、武田軍の矛先を逸らし、自国の安寧を保つことにあったのです。よって「敵に塩を送る」とは、一見すると温情から相手を助けているだけのようだが、実は敵の欲するところを与えることで、もしそうしなければその敵によって被ったであろう損害を事前に取り除くことを言うのです。

 しかし、これではまだまだ「表面的な」理解でしかありません。

 「敵に塩を送る」の故事成語のミソは塩の遣り取りをしているのが「敵同士」である、という点です。敵同士であるとはつまり、相互の存在が相互の存続ないし利益追求の障害となっているということですから、互いに「あいつなんていなくなればいいのに」と心の中では思っているわけです。この相容れないもの同士の間で、一方が一方に依存する関係が結ばれる。双方が「いなくなってしまえ」と願っているのに、塩を送り―受け取るという関係が成立するやいなや、「受け取る方=依存する方」は敵方が本当にいなくなってしまっては困るし、「送る方=依存されている方」はいなくなって欲しいと思っているのにかえってその存続に力を貸している、という非常に歪な相関図ができあがるのであり、両者の間柄は一筋縄ではいかない複雑な様相を呈していきます。

 もう少し整理してみましょう。依存する方、つまり塩を提供されている側は敵が塩の提供を止めれば窮地に立たされます。しばらくは節約で耐え凌ぐこともできましょうが、人民は一度上昇した生活水準をもとのように、すなわち塩が不足していた頃に戻すのには大きな不満を抱き、国内は不安定な状態に陥ってしまいます。そのような事態にならないために、依存する方は敵に対して「塩をくれなきゃ攻撃するぞ」とおりにつけて威嚇しなければなりません。というのも、敵はこちらが侵略してくるのを恐れて塩を送っているわけですから、こちらが脅威ではなくなれば援助をストップするかもしれないからです。ゆえに、塩をもらい続けるためには常に牙を剥き出しにして脅し続けなければならない。しかし、努力むなしくいざ止められてしまったら、もはや侵略戦争を挑むしかありません。人民や兵士の士気は、自分たちの生存がかかっているのでいやがおうにも高まるでしょうが、この場合、敗北すれば滅ぶしかない一か八かの大勝負になります。国としてはこのようなリスクの高い手段はなるべく避けたいところですが、やむをえません。

 依存する方に比べて依存される方、つまり塩を供給している側は一見すると優位に立っているように思えますが、そうとも言い切れません。そもそも、喧嘩を挑まれても恐くも何ともない相手には塩など送りません。塩の送り先は、もし侵略戦争を挑まれれば自国が大損害を被ってしまう、そういう相手なのです。言うなれば「上納金」を払って暴力沙汰を免除してもらっているようなものなのです。そのため、依存される方は依存する方の動向に神経質にならざるをえませんし、その対応も繊細さと慎重さを要求されます。もし余計に塩を供給し、たとえば戦争する間くらいは保つ量だったならば、敵はこれ幸いと自国に侵略してくるかもしれない。逆に足らなければ自暴自棄になってこれまた侵略に打って出てくるかも知れない。そうでなくとも敵は年がら年中威嚇をし続けているのですから、緊張状態はいつまで経っても解けません。

 ところで、上の文章を読んで「あれ? どっかで見たような状況だな」と思われた方もいるでしょう。古くは戦間期(第1次世界大戦から世界恐慌を経て第2次世界大戦にいたるまでの間)の枢軸国と連合国との関係、そして最近では北朝鮮と周辺諸国との関係が、まさに「敵に塩を送る」ことで現実に生じた関係の歴史的な例なのです。

 太平洋戦争に突入するまでの日本でいえば、世界恐慌とそれに続く列強各国のブロック経済化によって石油やくず鉄などの重要資源が入手困難になってしまう。そこで軍部は軍事力によって資源を調達すべしと訴え、世間もそれに迎合して右傾化していきます。アメリカはじめ後の連合各国は日本の侵略行為を抑えようと、一方で資源を融通しつつ、その中止を勧告し続けます。しかし、日本はこの時点で「武力行使をちらつかせることで資源の確保をねらう」という戦略を採らざるをえなくなっていた、つまり他国を脅迫しなければ自国が成り行かなくなっていたのです。かくして日本は自身の軍事的膨張に歯止めをかけられなくなり、資源の差し止めが確実になると、当然のように戦争へと雪崩れ込むこととなります。これぞ「敵に塩を送る」の関係が最終的にむかえる結果の一例といえましょう。

※太平洋戦争は「目的なき戦争だった」とよく言われます。軍上層部のだれもが「ここまでやったら戦争を終える」「ここを手に入れることを目標とする」といった「戦争の終え方」をまったく考えていなかったのです。このことは、本来は手段であるところの武力行使そのものが、実は目的だったと解すれば多少は納得がいくでしょう。つまり「一発ガツンとやって、また資源を送ってもらおう」程度の考えでしかなかった。戦争は脅迫の延長だったのです。

 北朝鮮がミサイルなどを打ち上げるたびに「どうしてあんなことするのだろう」と不思議に思う方も多いかと思います。そしてかの国を「愚かでわけのわからない国」と認識することでしょう。しかし、これも「敵に塩を送る」の故事成語から理解することができます。つまり、北朝鮮にとっては、周辺国から「追いつめすぎると何をしでかすかわからない」と思われることこそが重要なのです。もし食料などの援助をやめれば暴走するかもしれない、そう周辺国が判断すればこそ、北朝鮮への援助は継続される。だから「愚かでわけのわからない国」とあなたが思ったのなら、それは北朝鮮の思うツボなのです。結局、周辺国は北朝鮮が暴走しないよう、しかしあまり国力が強まらない程度に、ほどほどの「塩」を根気よく送っていくほかありません。

 「敵に塩を送る」とは「ライバルにもその苦境にあっては惜しみなく助けの手を差しのべた」という美談ではなく、またそこから得るべき教訓も「憎い相手でも助けよう」ではないのだと、私は思います。むしろ、この言葉は非難をこめて、否定的なニュアンスで使うべきなのです。「きみ、それは敵に塩を送るようなものだよ」と友人が眉をひそめて言うとき、その人は、あなたとその相手が連合国に対する日本のような、あるいは周辺国に対する北朝鮮のような、のっぴきならない関係になるかもしれない、そう忠告しているのです。

 まとめましょう。「敵に塩を送る」とは「自らの損失を抑えるために、あえて敵の存続に手を貸したものの、当然の成り行きとして敵が次第に増長をはじめ、最終的に非常に慎重な駆け引きを要する抜き差しならない関係へと発展してしまう可能性を招く行為」を言うのであり、そこから得られる教訓は「依存する―依存される」の関係はなるべく避け、できるだけお互いに自立するようにすべし、なのです。どこまでが依存でどうすれば自立なのか、そこはなかなか議論がわかれるところですし、またどっぷり依存し合った者どうしであればこそ非常に緊密な関係を結ぶことができる、という面もあります。しかしながら、自分以外の何者かに自分の生殺与奪の権をにぎられているというのは、やはり心穏やかではないでしょうし、それにいざ依存している相手から見放されてしまえば、もはや座して滅ぶかひと暴れするしかなくなってしまう。依存と自立の線引きは難しいですが、少なくとも、なんとか自力で生きていかれる、そのような状態がひとまず健康的だと言えるのではないでしょうか。


※その意味では、戦後の自由貿易体制はそれぞれの国家が自立する(あるいは、タテマエ上「自立している」とみなせるようにする)ために構築されたともいえるでしょう。かつての武田信玄のように、塩を絶たれれば上杉謙信に依存するか、あるいは戦に訴えるしかないという状況を作らないために、塩が欲しくば自力でどうにかできる、つまり市場で自由に購入できるという環境を整えたのです。
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