アフリカの難点――民主主義はアフリカに適するのか?

 文化的に分断された国々が抱える課題を解決する普遍的な方法は存在しない。
   ――R・A・ダール



 アルジェリアの人質事件。日本のメディアは情報の錯綜ぶりを報じることで事の重大さをあおりたてていたが、いったいだれが、何の目的でかくなる事件を起こしたのか、その背後関係については関心が薄かった。事件の首謀者にしても「イスラム武装勢力」程度に、ひどくおおざっぱに済ませてしまう。いずれも、非道なテロリストに同情など無用、呵責容赦なく叩きつぶすべきであるという、義憤にかられているようで実際は過去にも現実にも目を背ける短絡思考の産物であろう。

 今回の事件をマリ北中部へのフランスの軍事介入とむすびつけて報じるメディアは多くはなかったから、アルジェリアの人質事件は知っていても、マリのニュースは知らないという人ももしかしたらいるのではないだろうか。しかし、この人質事件はフランス軍介入への抗議と抵抗が主目的である、少なくとも大義名分として使われたと考えて相違あるまい。しかしながら、マリでの出来事が、どうして隣国のアルジェリアの事件と関係するのか、われわれには少々イメージしづらい。だが、この事件の拡散性こそがアフリカの難点だからして、その歴史的背景をまずは確認しなければならない。

 言うまでもなく、19世紀にはじまる帝国主義の時代において、アフリカはヨーロッパ列強の侵略をうけ、かれらのなすがままに分割された。第二次大戦後、アフリカ諸国はヨーロッパから次々と独立していき、特に独立の盛んだった1960年代は「アフリカの年」と呼ばれることとなる。

 しかし、その独立は植民地時代の負の側面を多分に背負ったものとなった。アフリカの独立国は、独立運動の結果に自然的に形成された国家よりも宗主国の意向をもとに作られた「人工国家」がほとんどで、その国境線は植民地時代のそれや行政区分をそのまま援用したのだが、その区分たるや地図上の緯線や経線などを基準としたものだったので、まるで定規で引いたような直線的な国境ができあがった。

 独立諸国の成立は、当然ながらアフリカの民族事情などまったく反映されていなかった。アフリカの大地には大小様々な民族と部族が入り交じり、ひしめき合っている。試みに、適当なアフリカの国を検索してみて、その国民の構成を眺めてみてほしい(ブルキナファソあたりがおすすめ)。すると、その国の名を冠した民族など見られず、ひとつの国に種種雑多な民族が暮らしていることがうかがえる。ここで、アフリカの国々はそういう民族が手を取り合って形成された、いわば民族連合体なのだと考えてはいけない。先ほどの話を、あの直線的な国境線を思い出して欲しい。アフリカの国々は、民族間が連合することによってできたのではなく、宗主国の都合により、どこに何族が暮らしているとか、そういった重要なことをまったく無視して杓子定規に作られてしまった。そのせいで、国境線によってひとつの民族が分かたれてしまう事態が多々発生し、ある民族の居住地域が複数の国にまたがっていることなど珍しくない。むしろ、それがアフリカの常識だと考えた方がよい。

 諸民族の宥和によって成立したわけではなく、上から判型を押し当ててできた国ばかりだから、当然国情は安定しない。文化も、価値観も、宗教も異なる民族同士が、いきなり「今日からあなたたちはひとつの国の国民ね」などと言われて「はい、じゃあ仲良くやっていきましょう」といくわけがない。試みに、日本・韓国・北朝鮮・中国・フィリピンの一部を切り取り貼り合わせてひとつの国が作られたと思えば、その困難も想像しやすいと思う。まず何語を公用語にするかでもめるだろう。政治思想もてんでばらばら、経済格差もひどい、こんな国が平穏無事に治まるなど到底思えまい。だが、アフリカの国々はだいたいこんな体なのだ。

 件のマリも、例外なくアフリカ国家の宿命を負っていた。マリの中・北部、つまりフランス軍が空爆を行った地域だが、そこには砂漠の遊牧民であるトゥアレグ族という民族が暮らしていた。かれらはマリが成立した当初からトゥアレグ族主体の国家を樹立することを望んでいたのだが、近年の砂漠化の進行による経済的貧窮からマリ政府への不満をさらに募らせ、2012年4月、マリ中・北部を武力制圧、独立国家「アザワド」の樹立を宣言するにいたる。無論、国際社会はこれを承認しなかったから、国家とよぶわけにはいかないのだが。

 マリ軍はアザワドに制圧された地域を奪還しようとするも、武器の不足もあって芳しい成果はあがらなかった。しかし、当のアザンデが内部抗争の末に崩壊してしまう。当初、アザンデは宗教色の薄いトゥアレグ族の反政府グループ(ちなみに、トゥアレグ族はイスラム教徒)である「アザワド民族解放運動(MNLA)」が主導権を握っていたが、それと共闘していたイスラム組織の「アンサール・アッ=ディーン」がイスラム教を前面に出した体制を望んだことから両グループが衝突。結果後者が勝利したが、アザンデは事実上解体した。

 「アンサール・アッ=ディーン」がはたしてトゥアレグ族主体の集団なのか、もしくは外部から入り込んだ者たちなのか、正確なことはわからない(指導者はトゥアレグ族出身のようだが)。ともあれ、フランス軍の攻撃対象は主にこのアンサール・アッ=ディーンと考えられるし、またトゥアレグ族の少なからずが、フランス軍との戦いに参加していることだろう。ここに、今回の人質事件とトゥアレグ族とが関連している可能性が浮上してくる。

 もはやアフリカの民族の宿命というべきだろう、トゥアレグ族もまた、国境によって同胞を分断された民族のひとつだ。かれらの居住地域はマリの他にアルジェリア、リビア、ニジェール、ブルキナファソと5つの国にまたがっている。この分布図(http://p.tl/hZUv ウィキペディアのページに飛びます)を見ると、人質事件の起こった天然ガス関連施設は、トゥアレグ族の居住地域内だということがわかる。ここから、あの人質事件はアルジェリアのトゥアレグ族がマリの同胞を助けるために起こしたものと推測する余地が生じる。少々歯切れの悪い言い方になってしまうのは、事件の実行犯がはたしてトゥアレグ族出身者なのか、あるいは外部のイスラム過激派なのか、いまいちはっきりしないからだ。今回の事件もそうだが、アフリカの民族問題はただでさえ事態が込み入っているのに、そこにイスラム過激派が乗ずるものだから、その錯綜にいっそう拍車がかかってしまっている。

 とまれ、アルジェリアの人質事件の原因を探っていくと、アフリカの民族問題がそのベースにあることがわかる。ゆえに、今回の人質事件もアフリカが抱える構造の問題点が噴出したのだと見るべきであろう。アフリカの抱える難点の要点をまとめれば、以下のようになる。

①ヨーロッパ列強による分割の後遺症で、アフリカの国々は独立時に地域の特性をまったく無視した不自然な国境線を引かれることとなる。結果、ひとつの民族が複数の国に分断されるという事態が起こる。
②複数の民族が共通する価値観のもとに自然と連合してできた国ではなく、地図の図面に線を引いてできた国がほとんどであるため、国内の諸民族が互いに利を競って頻繁に争うこととなり、国情が安定しない。
③上記2つの事由から、国内で民族紛争が起こるリスクが非常に高く、またひとたび紛争が起これば、民族が国境を越えて広がっているので、国から国へと争いが拡散しやすい。

 おそらくこの問題は100年、200年経っても容易には解決しまい。アフリカの大地にはとてつもなく厄介な歴史的宿命が刻み込まれてしまっているのだ。ときに、近年相次いだアラブ・イスラム圏の民主化運動、いわゆる「アラブの春」を、日本のメディアは「悪の独裁者に対す正義の民衆の勝利」として報じ、両手を挙げて賛同した。しかし、春を迎えたはずの諸国家ではいまだに政治的混乱が続いている。いずれの国もアフリカと同様、国内に複数の民族を抱えているため、利害が衝突してまとまりがつかなくなっているのだ。してみると、このような根本的な疑問を、しかし今の世界では非常に「不謹慎な」問いかけを発するのは、けして的はずれではないと思う。すなわち、「アフリカの国々に民主主義はそぐわないのではないか」と。

 「複数の民族が一国内にひしめきあう国にこそ民主主義が必要なのだ。なぜなら、価値観の異なる様々な人々が、それぞれの価値観を保ちつつ共存できるのが民主主義社会の特徴であり、優れた点だからだ」と言う人もいよう。だが私には、民主主義が「異なる価値観の人々を共存させる」政治システムだとは到底思えない。

 たとえば、ある国にA、B、Cの、それぞれに文化も利害も異なる3つの民族が暮らしているとしよう。国民構成上の割合はそれぞれA=60%、B=30%、C=10%だとすれば、選挙ではA族の利益を代表する議員ないし大統領がほぼ当選する。一方、B族は仮にC族と手を組んでもA族には及ばない、つまりA族は単独でも政権を維持できるから、B族、C族に気を遣う必要はない。ゆえにこの国ではA族の価値観や利益が重視された政治が行われることになろう。異なる価値観の共存どころか、多数派民族が政権を独占し、民主的手続によって得られた権力をもとに他の民族・他の価値観を「正当に」圧迫する道が拓かれる。

 私は、民主主義は「国民の一定程度の同質性」を前提とする体制というべきだと思う。国民の大多数が大筋の文化・価値観・利害を共有している国でなければ、民主主義のシステムはうまく機能しない。選挙は、様々な価値観をもった国民がそれに応じた政治家を選ぶ過程のように見えるが、国民間の深刻な決裂は滅多に生じない。というのも、選挙による政治家ならびに国家方針の決定はあの「国民の同質性」と「共通した利害」を土台としており、そこからはみでることのない範囲で行われるからだ。仮に多少の衝突があっても、自分と相手との間にある同胞意識(ナショナリズムといってもよいだろう)による心理的結びつきが強く働き、決定的な分裂にはほとんど至らない。

 国民の文化的同質性、国民全体を貫く利害関心。これが民主主義に最低限必要な「条件」なのだが、アフリカの国々がこれらをまったく満たしていないのは明らかだろう。民族それぞれがそれぞれの利害をもっており、それらから諸民族すべてに当てはまる利ないし害を抽出するのはほとんど不可能だ。畢竟、国民が民族単位で対立しやすくなるが、国民意識と融和の精神を醸成するところの共通した文化(同質性)が存在しないため、それを介した関係の修復はままならない。ゆえに政治は各民族間の利益をめぐる争いの場と化して、ときに武力に訴えることもあり、そこから内紛・内戦へとエスカレートする、というケースがあとを絶たない。

 民主主義は前提なしで「善」といえるような制度ではない。国民にある程度の「共通性」がなければ、民主主義は多数派の政治的独占に太鼓判を押すだけの「他民族支配の便利な道具」に成り下がるだろう。アフリカの国々では、民主主義が機能不全に陥っているというだけでなく、かえって国内の不安定化を助長しているとさえ言えるかも知れない。

 民主主義が前提としているのは国民の同質性だけではない。民主主義には、国政に参加する人民の同定、国家権力のおよぶ地理的領域の確定とその内部における他国からの干渉の排除、すなわち国民、領土、主権という近代主権国家の3要件もまた、民主主義には不可欠だ。

 主権国家という国のかたちは、ヨーロッパは30年戦争の終戦条約であるウェストファリア条約によって生まれた。元来、形骸化しつつあった神聖ローマ帝国に終止符を打ち、皇帝の権限の縮小を目的に領邦国家の統治権を強めたこの条約は、ひとつの領土をひとつの統治機関(領主)が他国から干渉されることなく治めるという、いまのわれわれにもなじみ深い国家の原則を誕生せしめた。そして時代が移るにつれ、国家と国民は不可分離の間柄にあるという国民国家の概念が発達し、それが政府・国民・領土がはっきり画定された主権国家の枠組みと合わさることで、国=民=領土が一体となった現代の国家観へとつながっていく。この一体感を演出するため、ほとんどの現代国家は民主主義政体を採用するわけだが、しかし国民がある程度の一体感覚をもっていなければそれはたんなる三文芝居でしかない。結局、国民同士に共通の意識がなければ民主主義は始まらないのだ。

 ウェストファリア型の主権国家の体裁を、アフリカ諸国も採っている。またいみじくも民主主義国家を標榜するからには、画定された領土のなかで・国民を同定しなければならない。無論、いずれの国もこの作業を行ってはいるが、あまりに多彩な民族地図のなかに暮らす国民に、国民としての一体感覚――国=民=領土――をもてという方が無理な注文だ。ともすれば国家は、人々にとってより身近な民族の一体感を疎外する「分断の犯人」とさえみなされよう。
 
 画定された国境と、同定された国民、そして文化と価値観の共有。民主主義はそれらを前提としてはじめて成立するのだが、アフリカの国々においてはどの前提も満たせてないし、また実状にも適っていない。ならば、一民族一国家の原則に則って国境線を引き直せばよいと主張する向きもあろうが、すると無数の群小国家が誕生することになる。「民族」の定義如何によっては、人口数百人の国家も生まれてしまうだろう。そもそも遊牧民が多いアフリカでは民族の居住地が入り組んでおり、仮に民族ごとに国を作っても国境をめぐる諍いは収まるまい。すると民主主義は、そしてその枠組みである主権国家モデルは、アフリカにはふさわしくないのではないか、そう考えるのも不当ではあるまい。では、いったいアフリカではどういった国家共同体のあり方が自然なのだろうか。そこで「銀河系国家モデル」を一案として出してみたい。

 銀河は、中心に巨大な質量のかたまりが(つまりブラックホールが)あり、その引力によって回りに無数の星々が引き寄せられることでまとまりをなしている。この構図の如く、中心にいる強力な民族ないし部族が周辺の他の民族・部族を吸引することで形成されているのが銀河系国家だ。国家の規模は中核に座している覇権民族の力如何であり、中心に近い民族であるほど覇権民族との結合は強くなるが、周辺へと遠ざかっていくにしたがって結びつきは弱くなる。そのため、辺境の民族は覇権民族間の力の強弱にしたがってあっちに付いたりこっちに付いたりを繰り返すことになる。すると、国と国の境界はゆらゆらと揺れ動くことになるので、国境という概念は成立しない。

 銀河系国家はアフリカをはじめアメリカ大陸やアジアなど、大小の民族がひしめく地域でかつて見られた国家形態であり、私の空想の産物ではない。身近なところでは、歴代中華王朝はこの銀河系国家の典型例といえる。いわゆる中華思想は銀河系国家のメカニズムとその精神を示す。そしていまだに中国が一党独裁の「王朝国家」であり、また覇権主義的であるのも、中国が歴代の中華帝国の後胤であり、銀河系国家のシステムを継承しているからだ。かつてのサーサーン朝ペルシア、古代ローマ帝国、インカ帝国、オスマン帝国等々の古代帝国はすべからく銀河系国家システムを国家原理としていたのだが、ヨーロッパはウェストファリア条約により神聖ローマ帝国を解体することでそのシステムを否定し、その副産物として主権国家が生まれた。そしてヨーロッパに地理的にも政治的にも近かったオスマン帝国は主権国家モデルの浸透によって銀河系国家システムを維持できなくなり、崩壊したのだ。

 アフリカ社会ももとは銀河系国家のメカニズムに沿って、諸民族が離合集散を繰り返していたところに、ヨーロッパ列強の支配と解放の過程のなかで主権国家モデルを半ば押しつけられ、独立諸国家は否応もなくそれを採用することとなった。しかし、アフリカの政治システムにはいまなお銀河系国家のロジックが残存している。つまり有力な民族・部族が政権をにぎり、その力によって国内の他民族を治めている。それでなければ、てんでばらばらの諸民族を見てくれだけでもまとめるのは困難なのだ。繰り返される動乱は、流動的な政治権力の変転により成り立つ銀河系国家のメカニズムを主権国家の、固定的で永続性を旨とする弾力性のない型に押し込もうとするところに原因の一端がある。

 民主主義政体は主権国家を前提とする。ゆえに銀河系国家は民主主義ではなく、君主制を採用するだろう。そして民主国家の、同質性を求める社会ではなく、古代帝国的な、ゆるやかな統合と多民族への寛容を統治原則とする社会となろう。そしておそらく、アフリカは争いのない平和な社会ではなく、帝国の辺境地において常に小競り合いが続くような、「システム整合的な戦争が恒常的に発生する社会」になるだろう。それが現状と比べて良きか悪しきかは一概には言えないが、もし人類にとって戦争は不可避だというのなら、今よりこちらの方が自然とはいえまいか。

 ひどく時代錯誤な国家観だとの誹りは当然受けるだろう。だが、いまやグローバルスタンダードとなっている主権国家モデルは、ヨーロッパの政治文化と歴史のなかでこそ生まれたのであり、そしてヨーロッパでこそ適していたのだ。そのローカルな国家モデルが他の地域でもそのまま適合しうるほどの普遍性をもっているのか、議論のあるところだろうが、無批判に主権国家モデルの普遍性を認めるというのはあまりに楽観的であろう。ゆえにアフリカにはアフリカにふさわしい国家のあり方があるのではないか、少なくとも主権国家と民主主義しかないと断定せず、よりラディカルな批判を展開する余地があってもいいのではないか、と私は思うのだ。



 ちなみに、もしいまの主権国家モデルのままでアフリカに安定をもたらそうとするならば、少なくとも各国特有の「国民文化」の創造が最低条件になると私は考える。多民族国家であるインドネシアなどはなんとかして国民文化を創ろうと躍起になっているが、それもこれも主権国家の枠組みのなかで、さらに民主主義を運用するためにはこれが必要不可欠であると看破しているからであろう。ヨーロッパをはじめとする先進諸国が近代化の過程でまっさきに手をつけたのが、教育その他の社会政策による国民の文化的統合だったのだから、この方策は基本的に正しいといえる。しかし、国民文化は通常、有力民族ないし階級(特に貴族階級)の文化をベースとして創られ、それを徐々に浸透させることで統合の効果を発揮していくが、その過程で多様な文化が失われていくことは避けられない。それに私は、アフリカの混迷を極めている国々が「国民文化」を創造したところで、それがうまく浸透しうるのかどうか、甚だ疑問に思う。
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