『賃労働と資本』――どうして日本の出生率は改善しないのか


賃労働と資本 (岩波文庫)賃労働と資本 (岩波文庫)
(1981/10)
カール マルクス

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簡単な労働力の生産費を総計すれば、労働者の生存=および繁殖費となる。この生存=および繁殖費の価格は労賃を形成する。こうして決定される労賃は労賃の最低限と呼ばれる。この労賃の最低限は、生産費一般による商品の価格決定と同じように、個々の個人にではなく、〔労働者〕種族に当てはまる。個々の労働者は、幾百万の労働者は、生存繁殖しうるだけを受け取っていない。だが全労働者階級の労賃は、その変動の内部においてこの最低限に一致する。 
  ――カール・マルクス『賃労働と資本』より



 いまの時代、マルクスを取り上げると、どうしようもない時代錯誤者か、あるいは歴史から学ばない愚か者とされるのがオチなのだろう。しかしながら、マルクスを切り捨てた私たち「資本主義社会人」は、実際のところ、マルクスが提示した問題を何一つとして解決していない。解決していた、乗り越えていた、と思っていたのは、資本主義が思いのほか人々に「豊かさ」をもたらしたからで、その貯蓄が急速に失われていくなかで、時代は再びマルクス的状況に戻りつつあるようにも思える。

とまれ、マルクス主義を「敗北した思想」と打ち捨てる人であっても、よもや「自分が仕事で生産した価値(利益)をそのまま給料として受け取っている」などとは考えておるまい。たとえば、月に20万円の給料が支給されたのは、その人が、その1ヶ月のうちに、20万円分の利益を上げたから、ではない。健全な、成長している、黒字の企業であれば、その人は、それ以上の利益を生産していなければならない。企業が、従業員に、月々に生み出された利益のすべてを分配していたならば、収支はどこまでも均衡するはずである。そうならないのは、かれらの上げた利益の一部を、あるいは大部分を、企業が「搾取」しているからである。

 この「搾取」は、資本主義社会においてはもはや当然のことで、何の違和感も抵抗もなくなっているから、「搾取」という言葉そのものがそぐわなくなっている。そればかりか、その「搾取」を、国家への、社会への、企業への貢献として誇りとするべきという風潮すらある。マルクス主義者からすれば、これは国家の、ブルジョワジーの、資本家の「イデオロギー」が見せる幻覚なのだけれど、私たちはそれが幻覚だとわかっていたとしても、幻覚に従い、幻覚を現実と思い込んで、幻覚の中で生きることを、強いられている。

 なぜなら、私たちの多くは「労働者」だからだ。

 労働者とは、自身の労働力以外に商品を、売り物を持たない者たちのことだ。私たち労働者は、生きるためにこれを売らなければならない。売るためには買い手が必要で、その買い手が、たとえ労働者の労働の成果をピンハネしようと、それを享受しなければ買ってくれないのであれば、それに従う他ないのである。

 というわけで、私たちは私たちの生活のために、私たちの労働力を企業に、資本家に、買ってもらわねばならない。それも、なるべく高価で。資本家としても、否、〈資本〉も労働者を必要としている――精確には、労働者の身体を通じて生み出される労働力を。なぜなら、〈資本〉が増殖するためには、労働力を媒介にして生産された価値の幾分かをピンハネする必要があるからだ(このピンハネ後の金額が労賃=給料として与えられる)。しかし、〈資本〉はできるだけ早く、多く増殖しようとするため、できるだけ労賃=給料を低く抑えようとする。とはいえ、限界はある。というのも、たとえば労働者が家族を養えないほどの賃金しかもらえなかったとすれば、労働者は子どもを産むのを控えるであろう。ひとりの労働者は、労働力としては、半世紀ももたない。だから、今は良くとも、将来的には媒介が不足してしまい、増殖が困難になってしまう――丁度、致死性の高いウイルスが、宿主となる動物を殺し尽くしてしまい、ついには自滅してしまうように。

 ゆえに、「生存=および繁殖費の価格は労賃を形成する」のである。労働力の再生産に必要最低限の生活費、それより賃金を下げてしまえば、「出生率」が低下していき、やがて労働力の源たる労働者の身体が不足する。〈資本〉は自らの増殖を果てしなく続けていくためには、少なくともこの程度の賃金は与えてやらなければならないのである。

 であれば。

 なぜ、日本の出生率はかくも下がりっ放しなのか。〈資本〉からしてみれば、このままでは労働力が不足してしまうのだから、もっと給料を増やすなりして、出生数を増やして、つまり自身の増殖に役立つ媒介物を確保しなければならないのではないか。

 この答えが先の一文に記載されている。すなわち「この労賃の最低限は、……個々の個人にではなく、〔労働者〕種族に当てはまる。個々の労働者は、幾百万の労働者は、生存繁殖しうるだけを受け取っていない。だが全労働者階級の労賃は、その変動の内部においてこの最低限に一致する」。

 先の労賃の話は、労働者全体に、世界中の労働者に、労働者階級に、当てはめて考えなければならない。要するに、〈資本〉としては「日本人の労働者」を増やす必要は、特段ないのだ。総量としての労働力が確保できていればそれでいいわけであって、海外の、発展途上の国の労働者で間に合うのであれば、そしてそちらの方が増殖に有利であれば、そちらの「生存及び繁殖費」を与えることを選択する。もちろん、日本人の労働者の中でも、資本の増殖に寄与する特別な能力がある者には「生存及び繁殖費」を満たす給料が、与えられるだろう。しかし、発展途上の国の労働者からでも確保できる労働力しかもたない労働者は、かれら程度の「生存及び繁殖費」は与えられるかもしれないが、しかしその額は、日本において「生存繁殖しうる」に十分では、ない。

 およそグローバルな状況において、日本人〔の労働者〕の出生率の低下は、あるいは賃金すなわち生存=および繁殖費の絶対的不足は、至極「まっとうな事態」と言えよう。これは国家の危機ではあるが、〈資本〉にとっては些末な出来事であり、おそらく今後も、日本人労働者の賃金が上がることはないだろうし、出生率の向上も望めないだろう。〈資本〉の興味が再び日本人労働者の身体に向けられるのは、日本が、途上国並みに貧しくなってからか、あるいは、上下の格差が半ば分離・固定化し、階級ないし階層が形成されるとともに、上層と下層がそれぞれの生活水準と物価に見合う生活を送ることができるようになってから、であろう――この兆候は、親の経済力が、つまり子に投資できる教育費の総額が、子の人生の大部分を決定している今日においてすでに表れており、併せて血統主義的な人間評価も一般化しつつある。そのなかで、少なくない親が、なけなしの教育費で子を「由緒ある」私立校に入学させ、少しでも血統を高めさせようと努力している。

 マルクスのこの一文は、現代のグローバル化した世界状況と共鳴する。いや、マルクスはそもそも世界中の労働者階級(ここでの「階級」という言葉のもつ普遍性に注目したい)の連帯を唱えていたのだから、その思想が世界規模の広がりを有しているのは当然なのかもしれない。さすがに、共産主義の夢を見るほど私も楽観的にはなれないが、しかしマルクスが、1世紀以上も前に提示した問題系にまさに私たちが直面していて、そしてかれの問題系を私たちが長いこと無視してきたことへの反省は、行ってもよいのではないかと思う。ただし、かつてはその問題系の先に共産主義というゴールが提示されていたが、現代の私たちは暗中で足掻くことしかできない。
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