香港、梁振英行政長官の共和主義

香港の民主派デモ隊が1人1票の直接選挙を求めているのに対し、梁振英行政長官は「香港市民の半数にあたる月収1800米ドル(約19万円)未満の人々」が選挙権を有してしまうことに危機感を表明している。

いわゆる「普通選挙」に慣れている私たちにとって、選挙権が収入(納税額)で左右される「制限選挙」は、民主主義の名に値しないものと映る。だが、香港は中華人民共和国からある程度独立した「都市国家」である。かれの懸念は、古代の都市国家的な、あるいは「市民的な」とも表現しうる感覚の所産とも考えられなくもない。

宗教改革や大航海時代を経て、王侯貴族や聖職者の他にも、いっぱしの財産を有する人々が登場しはじめる。中産階級(ブルジョワジー)である。かれらは、王や貴族の持ち物であった国家により、自分たちの財産を没収され、好き勝手に使われることを恐れた。そこで、国家とは何よりブルジョワジーの財産を保護するためにあるのであり、国家の施策はこの目的に沿ってなされねばならないという「市民政府」の構想が生まれる。そして、国家が市民から不当に財産を収奪し、また市民の自由な財産形成を国家が阻害しないか監視するため、市民の代表によって構成される「議会」が考案される。

このような「国家はブルジョワジー=市民の財産を保護するためにある」と考える思想を、便宜的に「共和主義」と呼んで、近現代的な民主主義とは分けておきたい。共和主義的国家観において、国家はブルジョワジーの財産を守るためだけに存在する中立的な機関でしかない。また、議会や選挙権は必須のものではなく、国家はあわよくば市民から財産を不当に取り上げようとする、という前提に基づいて、それに対抗しうるものとして出されたアイディアであり、国家がその責務を忠実に遂行してさえいれば、特になくとも構わなかった。故に、王政でも貴族政でも、選挙がなくとも、それは大きな問題ではなかったのだ。フランス革命の後、ナポレオンが皇帝に上り詰めたことは、この革命を「民主主義の革命」と見る歴史観からすると甚だ当惑する出来事であるが、それが「共和主義(市民)の革命」であると考えれば、何ら疑問に及ばない。市民が望んだのは、自分たち(の財産)の守護者であり、自分たちが指導者を選ぶことではなかったのだから。

ただ、市民は、国家が市民の財産を不当に取り上げようとしたときはいつでも、これを転覆しうるとされた、この「革命権」の担保こそは重要であった。とはいえ、市民が常に「反国家的」であったかというとそうではない。市民は、国家がその責務を、つまり市民の財産の保護を遂行するのに必要な諸経費を賄うための徴税であればこれを許したし、また国家危急の際はその防衛に努めるものとされた。これは、共和主義的国家と市民の間の、機械的で冷たい関係にはそぐわないように、現代のわれわれには感じられるところだが、市民たちは、自分たちの財産は現状の国家があってこそ保たれるもの、つまり国家の崩壊が財産の喪失とイコールなのだから、市民同士が結束してこれを防衛するのは合理的なことと考えた。このように、財産の保護という究極目的から演繹して、それに必要な行動を理性的に選択すること、これが市民的な「徳」とされたのだった。

共和主義は、あくまで「市民のための思想」として誕生した。ここでの「市民」は中産階級=ブルジョワジーのことであり、当時人口の大多数を占めていた農民等は含まれておらず、多分に古代都市国家的ニュアンスを帯びたものであった。都市にとっての城壁は、その内側にいる者を外界からの脅威から守るためにあるが、城壁の外に暮らす農民は、国家や市民に支配されてはいたが、破壊と略奪の危機に晒されていた。市民は都市による保護という特権を享受するに値する「守られるべき人々」なのである。

ここで、そもそもろくな財産を持たない、その日暮らしの無産階級(プロレタリアート)、つまり「城壁の外にいる人々」は、国家から疎外されることとなる。国家が市民の、市民による、市民のための機関、すなわちブルジョワジーの守護者である以上、相対的に無産階級は諸々の抑圧にさらされることとなる。故に、マルクスをはじめとする共産主義者は、国家と国家を支えるシステム、つまり私有財産制を打倒(マルクス自身は行き過ぎた私有財産を制限すればよい程度に考えていた)し、無産階級による協同体の確立を目指したが、今のところこの壮大な実験に成功例は聞かれない。

一方、穏健派の、あるいは「修正主義的」な人々は、むしろ国家の「城壁の内側」に入り込む方針を採った。無産階級の代表者を、議会に送り込もうとしたのだ。だが、ここで制限選挙が立ちはだかることになる。市民のための国家において、選挙権を財産の有無で判別するのはある意味で当然であったが、それでは無産階級の利害を代表する候補者を当選させることは困難であった。一方の市民にとっては、そもそも財産のないものが国家と関わること自体がナンセンスに映ったであろう。財産の保護は国家の役目だが、財産の形成は人民の自由な経済活動に任されるものであって、国家が手出しすべき領域ではなかった。だが、無産階級が「城壁の内側」に入ろうとする行為は、明らかに国家から「分け前」をもらうことを意図しており、それ自体が「卑しい考え」であった。市民は無産階級の人々に、自分たちと同様の、啓蒙された「徳」の精神を認めなかったのだ。

普通選挙を巡る市民(中産階級)と労働者(無産階級)とのせめぎ合いが始まるかに見えたが、この攻防において旗印となったのは共産主義思想ではなかった。近代国家のあらゆる層に根をおろし、人々を突き動かした思潮――ナショナリズムが、普通選挙を求める大きな原動力となった。

前近代のいかなる国家も、一般人民との距離はずいぶんと遠かった。人民にとって、国家とは暴力を背景に収入の一部をはぎ取っていく厄介ものであり、なるべく関わり合いたくない存在だった。共和主義国家であっても例外ではなく、市民以外の人民にとって国家がどうあろうと関係がなかった――自分たちに横暴を働かなければそれでよかったのだ。

だが、フランス革命から世界中に拡散した「国民(ネーション)」という新たなカテゴリーは、国家と人民の距離を一気に縮めることとなった。国家は、もはや市民たちの財産を守るための単なる機関ではなくなり、国民意識に目覚めた人民を統合する受け皿とならねればならなくなったのだ。皮肉にも、このことに真っ先に気付かされたのが社会主義者や共和主義者であった。ヨーロッパ中の社会主義者たちによって結成された第2インターナショナルにおいて、国家が起こす戦争への非協力が決議された。国家がブルジョワのものである以上、それが引き起こす戦争に無産階級が携わる謂れはなかったからだ。だが、第一次世界大戦の勃発後、諸国の社会主義・共産主義者はこれに積極的に協力していくこととなる。いまや国家は、ブルジョワジーのものという規定をはみ出し、国民全体を糾合する驚くべき共同体になりつつあったのである。

先述したとおり、共和主義において、人民すべてに選挙権を与える必要性はない。選挙は、市民の、ブルジョワジーの代表を国家に送り込むためのもので、それ以上の意味はないからだ。しかし、ナショナリズムの肥大化により、選挙権は「国民としての承認」を意味するようになり、また統治者の正当性は、共和主義的な、つまり市民の財産をまっとうに保護しているかという観点からではなく、国民の支持を得ているかという基準に変化していく。ここに、手段と目的はすっかり入れ替わった。共和主義においては、市民の財産を守るための手段でしかなかった選挙や議会は、いまや「それが成されて在ること」自体が重大事となったのだ。

共和主義と民主主義、この両者の間のこのズレは、しかし先進諸国においてはそれほど先鋭化されることも意識化されることもなく、存外すんなりと移行できてしまった。戦後に到来した経済成長の波は中産階級の層を厚くさせ、国民のほぼ大半が市民と称し得る程度の財産を持っているという、歴史上稀有な状態が生まれたからだ。共和主義的な「功利的動機」による議会政治と、民主主義的な「心情的動機」に基づくそれとは、特に違和感なく重なり合うことができたのだ。

しかしそれは、共和主義と民主主義が合流したことを意味したわけではなかった。とりわけ共和主義的な「徳」の意識は、民主主義においてほとんど忘却された。共和主義において、国家は市民の財産を保護する一機関に過ぎなかったが、まさにその故に、国家からの寵愛を求めるようなことは「徳」に反したし、また国家の防衛に命を捧げるのは「国家への愛」からではなく、財産の保護という合理的な判断に基づくものでなければならなかった。しかし、民主主義においては、国家も国民も、互いに互いからの「愛」に応えなければならなくなった――すなわち、国家は国民の財産のみならず、その生活全体に目を光らせてこれを保護する役割を与えられ、また国民は国家そのもののために戦いに赴かなければならなくなった――共和主義者にとって、これは非合理的な、異常事態であった。

民主主義者にとって、国家は何よりも国民の全面的な庇護者でなければならない。国家と国民は密接な「愛」によって結びついており、その「愛」に無条件に応えることが国家に期待されるのである――たとえ破滅的な借金によってそれを賄うことになろうとも。無論、共和主義者とて貧窮した人々を救う事に絶対反対なわけではない。ただ、かれらにとってそうした「分け前の分配」は国家の主要な役割ではないし、また国家が市民生活(市民社会)にあれこれ手を出すのは、それが仮に国民の福利厚生のためであっても、市民の自由を侵害しかねない「非礼な行い」なのだ。国家は何より市民の財産を保つことにのみ腐心すべきであって、たとえば借金をしてでも貧民を救済する、というのは国家の権限から逸脱する――なんとなれば、その借金を返済するためには市民からの徴税が不可欠であるが、それは市民の財産を余分に収奪することを意味するのだから。増税は、共和主義者にとって国民の生活を圧迫する云々以上に、市民に対する国家の契約違反であり、その存在意義にまで関わる一大事なのである。

国家は人民すべてのためにあらねばならず、その実現のために人民すべてに参政権が与えられるという現代民主主義が幕を開けるが、国家は人民の財産の保護は当然として、次に人民へ「分け前」を与えるという役割をも担わなければならなくなった――日本のような特異な社会を除いて、無産階級と呼ぶべき貧困層に属する国民はかなりの割合で存在するが、かれらにも寵愛を与えなければならないからだ。無産階級にとって、これは一定の勝利であったが、一方で国家は税収に見合わない膨大な出費を強いられることとなり、返すあてのない国債に頼らざるをえなくなっている。グローバル化の進んだ世界では、下手に中産階級の財産に手を付け(増税)ようものなら、かつての市民国家の例に倣い、自分たちの財産をあまり奪わずに保護してくれる別の国家へと避難してしまう。現代の国家は押しも引きもできない窮状に立たされている。

梁振英行政長官の発言は共和主義的な、都市の統治者として感覚から、発せられたものである。かれが耳を傾けるのは、まとまった財産を持ち、また自らの責務をわきまえた、徳のある「市民」たちのみであって、財産もなく、分け前に授かる事しか考えない貧困層は共和制の外部に、統治される者としてしか、見なされない――デモ隊の「動機」として経済不安が掲げられるとき、学生たちの闘争は、ただ国家から「分け前」を求めるためのものと化している。共和主義者は、こうした「徳のない」、「啓蒙されていない」、「理性のない」者たちを、毛嫌いする。かれらにとり、民主主義者とは、そういった人々を増長させ、いたずらに社会秩序を混乱させる厄介者でしかないのだ。

さて、では日本は「民主主義社会」だろうか。言い換えれば、私たちは「不道徳者」の声に真剣に耳を傾けているだろうか。社会をかき乱す者たちを、その主張を、そのものとして受け止めているだろうか。私たちもまた、梁振英行政長官と変わらない、理性と徳を信奉する「共和主義者」なのではなかろうか――それは、しかし「問題」とするには値しないのかもしれないが。
スポンサーサイト

0 Comments

Post a comment