「破邪第一主義」は今なお生き続けるか

遅まきながら、最近ようやく丸山の著書を読み始めたのだが、「日本ファシズムの思想と運動」と題された論文で、興味深い話が紹介されている。

血盟団事件の首謀者・井上日召は、公判の場で「私には体系づけられた思想はないという方がよいと思います。私は理屈を超越していまして全く直感で動いております」と述べたという。また、二・二六事件の実行者のひとりである村中孝次は「何ヲカ建設ト云ヒ何ヲカ破壊トイフカ……破邪ハ即顕正ナリ、破邪顕正ハ常ニ不二一体ニシテ事物ノ表裏ナリ、討奸ト維新ト豈二ナランヤ」と手記に残している。

どちらも共通しているのは、世の過ち(と自分たちが考えている対象)をまず除くことこそが正義なのであり、その後どうなるか、どうすべきかは自分たち以外の人間が考えることである、という論理だ。戦前日本の右翼は、しばしば中心的理論がなかったと評されるが、この発言を読むとなるほどと納得できる。

テロのような「非常の」手段に訴えるからには、かれらには何としても実現したかった理想社会のビジョンがあったのだろう、と考えるのが普通だろうが、そんなものはなかった。ただそのときそのときの「直感」で「悪」と認定した対象を「破邪」することにのみ熱中した。「破邪」の後にどうなるか、また何のための「破邪」なのか、そういったことは、どうやら意図的に考えないようにしていたらしい。それでいて「破邪」によって世の正義を示した後は、自分たちに続く者たちがうまくやってくれるだろう、と放り投げる(右翼の「テロリスト」たちはいずれも、決起の後は自決するつもりでいた)。

ここから、日本が無謀な戦争に突入する原因となったメンタリティもある程度、理解できる。米国は悪である、しからばこれを「破邪」せねばならない。米国の国力に比すれば、日本に勝ち目など到底見込めないが、まずは「破邪」することが先決であり、後のことは自分たち以外の者たちに委ねよう――と、こう言った次第で、国家の首脳部は自らの責任を感じることなく、誰が決断者なのかも明らかでなく、そしてどこで終わらせるのか(戦略目標は何なのか)も定めぬまま、ただ「破邪」するためだけの戦争が、始まった。

戦後、右翼は急速にその影響力を失っていったが、この戦時日本のメンタリティは、皮肉なことに左翼の方に受け継がれたようだ。左翼の強みは、何と言ってもマルクス主義の理論体系を擁していたことだったが、ソ連の崩壊に伴って左翼は自身の大看板を引き下げざるを得なくなり、運動としての一貫性を保てなくなった。その状況下で、左派のうちでもマイルドなリベラル派は何とか社会的影響力を保っていたが、かれらの戦術はかつての右翼同然の「破邪第一主義」であった。

「破邪第一主義」には「理念」がない。理想的な世の中とはいったいどういう姿形をしているのか、これを描いて見せることができない。いや、あえて描かない。描いてしまえば、自分たちも「破邪される」側になってしまうからだ。そうして「正義の基準なき異端告発」という、奇妙な状況が展開される。マスメディアからすれば、具体的な解決策を模索するような公論の醸成に努めるよりも、「破邪」すべき「悪」を告発する方が民衆の共感を生むので、後先のことなど考えず、感情に訴えかけるような報道を繰り返す。これもまた、戦時日本の写し絵である。

「異端告発」はするが、その異端を「破邪」した後の始末は考えない。なぜならそれは後代の人間がどうにかすべき問題だから。こうした「破邪第一主義」と「無責任の体系」があの戦争の大きな原因なのだとすれば、現代の日本はあの愚かさを本当に反省し、乗り越えられているのか、きちんと総括すべきなのかもしれない。
スポンサーサイト

0 Comments

Post a comment