安保法案の採決とともに国民の合意を得たものについて

君達は自衛隊在職中決して国民から感謝されたり、 歓迎されることなく自衛隊を終わるかも知れない。 きっと非難とか誹謗ばかりの一生かもしれない。……一生御苦労なことだと思うが、 国家のために忍び堪え頑張って貰いたい。 自衛隊の将来は君たちの双肩にかかっている。 しっかり頼むよ。

――吉田茂元首相が防衛大学校一期生にかけた訓辞より


これで、今回の安保法案が法制化されることはほぼ確実となりました。野党はこれを「強行採決」と批判し、当の政権与党も、まだ国民から十分な理解は得られていない、と述べておりますし、まだまだ議論は続きそうです。

ときに、安保法案が国民の理解を得られていない一方で、本法案を巡る「騒動」に紛れて、ひっそりと、しかし重大な事柄が、国民のコンセンサスを獲得したように思います。

すなわち、「個別的自衛権の行使ならば合憲であり、その手段である自衛隊もまた合憲である」、この認識であります。

これはけして自明なことではありません。「憲法は自衛権の行使全般を禁じている」という解釈が憲法学の通説であることは、多少なりとも憲法について学んだ人であれば、当然に知っていることであります。通説的理解からすれば、集団的自衛権はもとより、個別的自衛権の行使すら、違憲なのです。況や、自衛隊の存在が合憲であるはずがありません。

自衛隊や個別的自衛権の行使と、憲法の特に9条を巡っては、半世紀もの間、喧々諤々の議論が戦われてきました。その構図をざっくりと示せば、9条の戦力不保持と交戦権否定を旗印に自衛隊の廃止を求める「平和主義」勢力と、憲法をあの手この手で解釈して自衛隊の存在を正当化してきた「政府」と、この問題に無関心か、あるいは自衛隊は限りなく「黒」だけれど、必要悪だからと看過してきた「一般国民」の3者が鼎立して今日に至っている。

ただ、基本的に自衛隊は胸を張って「合憲」と言える存在ではない、というのが国民の共通認識でした。現在は戦争を経験した世代はだいぶ少なくなってしまいましたが、自衛隊が設立された頃は、戦争の記憶を色濃く残した方が多く、厭戦気分が蔓延していましたから、自衛隊も個別的自衛権の行使も、再び日本が戦争をすることになるのではと、ひどく倦厭されました。自衛隊員やその家族は差別的扱いすらされましたし、自衛隊員になりたい人も少なかったですから、政府は必死になって隊員を募集・勧誘しなければなりませんでした。

30代くらいの方であれば、自衛隊が不人気であった頃の「時代の空気」をある程度覚えているかと思いますが、それが今や人気の就職先のひとつとなっている。イメージも、かつてほど悪くはない、むしろ近年立て続けに起きている様々な災害で、献身的に国民を守る姿を見て、好感を抱く人も多いのではないでしょうか。

これらイメージの刷新と、隣接する国々の「危険な」動態を見てでしょうか、ほとんどの日本国民は自衛隊の必要性を認めるようになった。「自衛隊は違憲だ」と主張するのは、もはや生粋の9条主義者か、保守的な憲法学者くらいです。

「平和主義」勢力も、ずっと「戦争放棄のために、自衛隊は解体されねばならない」と主張していたのですけれど、安保法案を「違憲」と主張した憲法学者の勢いに乗ったあたりから、「自衛隊は合憲」という前提を、おそらく何ら自覚のないまま承認してしまいました。かつての「平和主義」勢力は、ときの内閣法制局が、ときの政権のオーダーに応えてあの手この手で憲法を解釈し、自衛隊や自衛権の行使を正当化したのを、憲法の精神に反するとして攻撃してきたものです。けれど、その度ごとに政府に押し切られ、なあなあのまま「個別的自衛権の行使なら合憲」と解釈改憲されて今に至るのですけれど、今般の「平和主義」勢力は、長年の敵であったはずの内閣法制局こそが「個別的自衛権の行使であれば合憲である、という憲法の真理を示した立憲主義の番人」であるかのように称えている。「平和主義」勢力は、真っ向から問題視していたはずの「自衛隊の合憲性」をあっさりと認め、皮肉なことに旧来の政府見解とすっかり合流してしまったのです。

「平和主義」勢力に限らず、もはやほとんどの国民が「個別的自衛権の行使なら合憲」と認めている。私見では、今回の安保法案の可決よりも、その騒乱のなかで、この認識が日本国民の間に、ひそやかに浸透していったことの方が、日本の歴史のターニングポイントとなるように思います。憲法学の教科書は、書き直しを余儀なくされるかもしれません。旧来どおりの、自衛権行使の放棄を唱える説は「異端」と見なされるようになるかもしれない。日本は、憲法の原則からすれば、自衛隊の如き戦力も持てないし、自衛のためであっても交戦もできないのだ、と言っても「頭の古い人間の戯言」あるいは「非現実主義者の寝言」としか、受け取られなくなるかもしれない。

ですが、自国を守るためであれば、武力を以て「敵」を打ち殺して良い、というのは、いったい他の「ふつうの国」と何が異なるというのでしょうか。はたしてそれが、9条を擁する日本国憲法の、世界に誇る「平和」の姿と言えるのでしょうか。

わが国の憲法が、戦争に一切関わらないことを宣言したものであるとするならば、仮に安保法案の可決が「戦争」へと半歩足を進めたのだとすれば、個別的自衛権行使のコンセンサスは、それに十歩も二十歩も近づいたと言えるのではないでしょうか。


※なお、私は「自衛隊を解体すべし」と唱える者ではありません。自衛隊は違憲、自衛権行使も違憲、そう判断はしますが、いずれも日本の安全保障にとって必要不可欠であると考えます(その点、国民の一般的認識とほとんど異なりません)。ですから、こと安全保障に関しては「違憲即不正」ではなく、違憲であることを承知しながらも、あくまで日本の安全に寄与するかの視点で議論すべきだと思います。自衛隊員が戦闘を行うことも止むなしと思います(個別的自衛権の行使を認めている時点で、自衛隊が戦場におもむき、戦闘を行うことは想定されて然るべきです)。
 本稿では、憲法9条が掲げた平和の姿が、安保法案のどさくさのなかで、あるいは時代の流れによって、国民の意識からすっかり死滅してしまったのではないか、そのことは、安保法案そのものの影響以上に、日本の戦争に対するハードルを下げてしまったのではないか、その可能性を論じたのです。
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