支配への抵抗のために ~ミシェル・フーコー「批判とは何か――批判と啓蒙」~


わたしは花火師です―フーコーは語る (ちくま学芸文庫)わたしは花火師です―フーコーは語る (ちくま学芸文庫)
(2008/09/10)
ミシェル フーコー

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1.批判とは

 今回はミシェル・フーコーの講義「批判とは何か――批判と啓蒙」より、批判とはいかなる試みなのかについて考えていきたいと思います。
 日本では「批判的な人」というのは、文句ばかりで口うるさく、やたらとケチや難癖をつけてくるくせに無責任、そんな人のことを指すように思います。少なくとも、「かれは批判的な人なんだ」と紹介されてポジティブな感想を抱く人は滅多にいないでしょう。
 けれど、批判にはもっと積極的な、私たちの生活に資する意義があるのではないか。それをフーコーの語ったことから見つけてみようというのが本文の主旨です。
 さて。フーコーはまず、自分の語るところの「批判的態度」のあり方をカントが試みた〈批判〉の営為から引き出します。カント的な批判はかれの時代――近代の萌芽が芽生えはじめた頃に誕生したもので、それまでの批判のあり方とは一線を画していました。ではカント=フーコー的批判とはどういうものか。「批判は道具のようなものであり、批判そのものが知ることがなく、到達することのない未来あるいは真理のための手段にすぎないものです。批判はある領域にたいするまなざしのようなものです」(p.72)。
 こんな定義ではよくわかりませんね。そこでフーコーがカントの語るところの批判とは趣を異にするとして斥けたもうひとつの批判の概念――おそらく、わたしたちにとってはむしろ馴染み深い方法を例示し、そのちがいを対比させてみましょう。
 「カントが試みた傑出した営みとしての〈批判〉と、ふつう批判という名で呼ばれている論争的で職業的な瑣末な活動には大きな違いがあります」(p.71)とフーコーは言います。ここでの「論争的で職業的な瑣末な活動」が従来の批判にあたるわけですが、ではこれはどういったものか。たとえば『戦争論』を記したクラウゼヴィッツにとって――文献が手元にないので、直接引用はできないのですが――自身に対する批判は、己の理論や見解をより真理に近づけ、完成させていくための、いわば研磨の過程でありました。すなわち、論理の妥当性、根拠の事実関係、他の同分野の理論との比較などを通して、その論をより現実的で実用に耐えるものへと仕上げていく。このような実践を志向する批判、もしくは「道具をより有用にしていくための批判」、これがわたしたちの一般的に呼ぶ批判ですが、しかしフーコーはカント的批判をこれとを区別します。カント的批判は「もっと一般的な命令によって裏づけられたものです。この命令はたんに過ちをとりのぞくというよりも、はるかに一般的なことを目指す命令です」(p.73)。理論から誤りを除いていき、より純粋な真理に近づけていくこと。このような目的限定的で視野の狭い批判は、カントのいう〈批判〉にはあたらないのです。「批判のうちには、いわば〈徳〉にふさわしいものが何か存在しているのです。そしてわたしがお話ししたいのは、ある意味では一般的な〈徳〉としての批判的な態度についてなのです」(p.73)。
 では、フーコーの語る「批判的な態度」とは、そして〈批判〉とはいかなるものなのか、見ていきましょう。

 
2.統治への問いのはじまり
 
 カント的批判とは何かを明らかにするにあたって、フーコーは当時の時代状況、特に統治への関心がどのように広まっていったのかを説明していきます。「キリスト教の司牧者たちは……次のような考え方を発展させてきました。すなわちそれぞれの個人は、その年齢と地位にかかわらず、その一生をつうじて、みずからの行動の細部にいたるまで、ある他者によって統治されるべきであり、統治されることをうけいれるべきであり、すべての人はこの他者とのあいだで、全体的であると同時に、緻密で詳細な服従の関係を結んで、みずからの救済を目指すべきだという考えです」(p.74)。教会とそれに隣接する世俗権力は、真理と結びついた良心の指導を統治の技術として発展させ、人々を服従せしめようとしていたのでした。
 中世においては修道院などに限られていたこれらの服従の態度は、やがて宗教改革を通じて世俗社会に広まります。さらにその宗教的態度はやがて人々を統治する――人々が自分をして自分を統治せしめるための技術として発展していく(このあたりの経緯は、マックス・ヴェーバーの『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』でも綿密に描かれています)。ここにおいて、いかに統治すべきか、またいかに統治されるべきか、という問いが生じるのです。「いかに統治すべきか――これは15世紀と16世紀に提起された基本的な問いの一つだったと思います」(p.75)。
 

3.批判 ――統治されないための技術

 「この統治の一般化は、16世紀の西欧社会にかなり特有なものと思われますが、これは『いかに統治されずにいられるか』という問いと切り離すことはできないと思われます」(p.76)。統治への問い、すなわち統治することと、統治されることへの問いかけは、必然的にその対義的状態である「統治されていないということ」を新たな問いの対象として見出したのでした。「〈このように〉、これによって、これらの原則の名のもとで、ある目標のもとで、こうした手続を使って、あるいはこのようにでもなく、このためでもなく、それらによってでもなく、統治されないためにはどうすればよいのか」、これが問いの内容でした(p.76)。そしてこのように問いをかける態度、これをフーコーは〈批判的な態度〉と呼びます。
 注意しなければならないのは、この〈批判的な態度〉とはけして「統治されることへの絶対的抵抗」を意味しないということです。この問いは両義的かつ境界的なのです。「〈批判的な態度〉は、この統治の技術に直面して、そしてその対応物であるかのように、というよりもむしろ統治の技術のパートナーであると同時に敵であるものとして、この統治の技術を警戒し、これを拒否し、これを制限し、その適切な大きさを決定し、これを変革し、この統治の技術の適用を免れる方法として生まれた」のです(p.77)。つまり〈批判的な態度〉とは、権力のただなかで、ときには権力として、自身と自身への統治の過剰性を見張り、これを矯正するための姿勢なのです。ここには統治の技術の劇的発展に対するヨーロッパの人々の警戒心があったのだとフーコーは言います。
 さて、このように統治に対抗し、その目論見を変動させようとする〈批判的な態度〉の方法を、フーコーは「統治されないための技術」と呼びます。それは「いかなる犠牲を払っても、このような方法で統治されないための技術」であり、フーコーはそのための道具としての〈批判〉を「このような形で統治されないでいるための技術」と定義します。まさしく、かれのいう〈批判〉とは、このことなのであります。
 とはいえ、これだけですとあまりに簡潔にすぎますから、少々長いですけれど、批判について説明した――しかし意義はそれだけに止まらない、とても重要な一節を丸々引用したいと思います。

 統治の一般化とは現実的には、真理であることを主張する権力のメカニズムによって、個人を服従させる社会的な実践という運動にほかならないのです。そして批判とは言ってみれば、主体がみずからに、権力の効果という観点から真理について問う権利と、真理のディスクールという観点から権力について問う権利を与える運動にほかならないのです。よろしいですか、批判とは、みずからの意志によって不服従を求める技術であり、省察を重ねたあげくに不従順になるための技術なのです。批判は一言で言えば、真理の政治学とでも呼べるゲームにおいて、本質的に主体が服従から離脱する機能をはたすのです(p.81)。

 ここには真理と権力と主体との三位一体の関係、真理ゲーム、そして自由プラチックといったフーコーの統治性概念、そしてそれへの対抗方法を語る上で欠かせないアイデアが濃縮されており、さながらかれの思想がここに結晶化して華開いたかのような観すらあります。とはいえ、これらについて語るのは今回の主旨からははずれますし、それに何よりも、西洋思想の専門家でもない私にはとても手に余る仕事でありますから、ここでは批判が、自己の意志により権力の、その真理と主体との錯綜した関係を解き明かすことで、自己への統治に対抗するための技術として定義されていること、これを確認するに留めたいと思います。


4.批判と啓蒙

 「このような形で統治されないでいるための技術」という批判の定義は、カント的批判を元に作り上げたものではありますが、これはフーコーがカントの批判の定義をそのまま解説したのではありません。後に述べますが、カント的批判は実際のところ、服従的態度への呼びかけをも含んでいたからです。フーコー流のアレンジが加えられることで、カント的批判はフーコー的批判へと換骨奪胎されているのですが、このようなフーコー的批判の定義は、実はカントが批判とセットで述べたもうひとつの概念である啓蒙(アウフクレールング)とほとんど異ならないとフーコーは言います。
 フーコーは、カントが「啓蒙とは何か」で啓蒙を「人間のある種の未成年状態と比較して定義した」と指摘します(p.82)。権威の力や指導(ライテン)によって人間の知性を行使する力を阻害し、未成年のままにおこうとする権威の過剰、これに対抗する勇気と決意を呼びかけること、これがカントのいう啓蒙でした。カントは宗教、法、知識の三つの領域が人類を未成年の状態に押しこめていると主張し、ここから離脱させてどうにか成人させようとしたのです。
 このカントが述べるところの「啓蒙」こそが、フーコーが主張しようとしてきた批判なのであり、それは統治の一般化のなかで、ある種の反作用として西洋世界が編み出した〈批判的な態度〉を人々に呼びかける宣言であったわけです。


5.カント的批判と啓蒙の対立

 次に、フーコーは翻ってカントの批判とは実際どのようなものであったのか、先の啓蒙との位置関係から考察していきます。まるで自分の捨てた抜け殻をしげしげ眺めるかのようですが、かれはカントのいう批判を啓蒙(つまり、フーコー的批判)との関係において比べることで、両者の差異を明らかにせんとしたのです。
 フーコーがいうには、カントは批判を知に対する以下の語りかけに定めておりました。すなわち「君はどこまで知ることができるかを知っているのか」、「君が望むかぎり推論するがよい、しかし君は危険なしで、どこまで推論できるのか知っているのか」という文句です(p.84)。
 おわかりのように、この批判の語りかけは啓蒙の呼びかけと奇妙に矛盾しております。勇気をもて、というよりも勇気と自分の知識の限界に気づけ、ということ。己の限界を知った人間は自身の領域を正確に把握できるようになり、そこから自律の精神を形成できるようになる。自己の自律を達成した人間はもはや「服従せよ」という外からの命令を聞く必要はありません。なぜなら「服従せよ」という命令は、自身の限界のうちで、その自然的な感覚によって彫り整えられた自律という形態のまさに内側から届くものになっているからです。すなわち、カントにおいては、啓蒙が呼び覚ます知る勇気は、知識の限界を明らかにするための理性的・知性的営為のなかにはじめから包摂されていたのです。このため、カント的〈批判〉は現代にいたるまで過剰な権力による統治の一般化を正統化するように作用してきたのです。
 フーコーはカントのいう批判が、必ずしも「このような形で統治されないでいるための技術」ではなかったということを指摘し、一方カントのなかでセットになっていた批判と啓蒙の概念を分離し、この啓蒙のプロジェクトから自身の批判の定義と、その戦略を示しました。だからといって、フーコーはカント的批判がまったく無駄であったとは言いません。カント的批判は権力と真理のゲームの間で、その服従から離脱するための手段として批判を位置づけ、知識を認識するという課題を批判に託した、あるいは後世にそれを問う下地を残した、このことをフーコーは評価しているのです。


6.知と権力

 18世紀は近代科学や国家の統治が前景化するとともに、カントが批判と啓蒙の問い――微妙な「ずれ」をまとった、問いの可能性に開かれた問い――を発した時代でありました。この時代において、現代の土台となる統治のあり方、すなわち権力、真理、主体が綿密に関係をもつようになったのです。「科学技術」という語の連結がまさしく表しているように、ある知識・真理の体系は、それが統治の技術と結びつくことで強制を正統化する権力のメカニズムを構築していきます。このように見るならば、ある知識が真理か虚偽か、根拠はあるのかないのか、現実か幻想か、正統なのか濫用なのか、などを追及していくのは、政治的次元においては己が統治する権限を示すために、まさにそのために重要ではあっても、「このような形で統治されないでいるための技術」というフーコー的批判の営みにとってはさしあたり必要ではありません。まず手をつけるべきなのは「こうした強制の手続きが、合理的で、計算され、技術的に効率の高い要素に固有の形式と根拠づけを、どのようにして獲得するかを調べる」ことなのです(p.102)
 この方法においては「知と権力」というふたつの概念がキーとなります。このふたつはある出来事に〈価値の一貫した還元〉を施すものです。すなわち、ある行為やその効果の正統性を特定の状況にある人々に受け入れさせる、そういうメカニズムです。「知と権力」は正統性の付与そのものに関わってくる分析のための概念ですので、その効果そのものの正統性は問えません。あくまである知識、ある支配の正統化がどのようになされているのかを捉えるための方法的手続きであることに注意すべきでしょう。
 ここでいう「知」は、たとえば「情報」という概念のように、人間にとって中立的で外的なものではありません。「知」は「権力」と結びついてはじめてその効果を発揮するのです。そのため「知と権力の結び目を記述することが大切なのです。この試みによって、精神病の体系、刑罰の体系、犯罪行為の体系、性的な現象(セクシュアリテ)の体系など、ある体系が人々にうけいれられるようになるのはどうしてかを、理解できるようになるのです。「要するに、ある体系の総体が、わたしたちにとって経験的に観察可能である状態から、それが実際に観察可能な時代において歴史的にうけいれられるものとなるまでの経路を分析するのです。そしてこの体系を支えている知と権力の結び目を分析し、この体系がうけいれられたという事実にもとづいて、これを捉え直すべきなのです」(p.105)。
 このような「考古学」的戦略は、ある支配に正統性を示すような政治言説へのコミットメントを一時留保し、ひとまずある強制が受け入れられているという事実を実定的にとらえなおすことを目指すのです。この営みの「正統性」――私は半ば意図的に、この考古学に対して正統性という語を向けますが――は、ある権力のメカニズムがつねに何らかの否定しえない根源的な権利(たとえば、自然法)によって基礎づけられているわけではない、もしくは、基礎づけられていたとしても、それは必ずしも自明ではない、ということです。「考古学」の分析はこの前提に立つことではじまります。
 ですが、このような分析の手法は非常に危険性が高い(コストがかかる)とフーコーは言います。というのは、ある体系が人々に受け入れられるようになった根拠を分析していくことは、分析者が当初正統なものと信じていた体系の、その正統性の確保のためにふるっていた暗部を晒していく過程であります。ひとつの信仰が崩れ去っていくこと、これは人間の安逸をおびやかすものです。「土台となる場所に遡ることもできず、純粋な形式のうちに逃げ込むこともできないのです」(p.108)。しかしフーコー的な分析手法を採る人間は、己の安逸、つまり真理性をまとった生の確実な基盤と引き換えに、この権力の特異性に対して批判を投げかけていかねばなりません。


7.抵抗への意志

フーコーの目的は、ある統一された、たったひとつの歴史を「記述」することではありません。そうではなく、かれの目的は「系譜学」を構築すること、複数の決定要因との関係においてある特異性が出現した、その条件を再構築していくこと、これなのです。さまざまな人と集団、そして歴史の相互作用から生じる〈ずれ〉、すなわち相互作用をひとつの完結した行為連関として見るのではなく、その文脈(コンテキスト)を読むときの変換作業によって必然的にもつれてしまう錯綜した関係、それが構築されていく様を取り出し、分析することであります。「重要なのは、権力をつねに相互作用の場のうちの関係として考えることです。権力を知の形式と分離することのできない関係のうちで思考すること、つねにある可能性の領域との結びつきのうちで権力を考えること、つねに可逆的で逆転可能なものとして考えることが重要なのです」(p.112)。
 権力が相互作用の渦のなかにある、ということは、知と権力は強制のメカニズムであると同時に可能性の場でもある、ということです。つまり知と権力の結合はひとつの永続性を保てるわけではなく、つねに諸主体の参加する戦略的領域のなかにあるのです。この両義性こそが、私たちに抵抗と逆転の可能性を誘発するのです。
 カント的〈批判〉は啓蒙との間で微妙な〈ずれ〉をはらんでいました。カントの意図ではないにしろ、これはまさに知と権力が両義性をふくむ戦略の場であることを告知していたかのようであります。フーコーは近代がカント的〈批判〉をその統治の技法として採用していった歴史の流れを鑑みて、カント的啓蒙の問題への逆転を計ります。しかしながら、まずはカント的〈批判〉の出発地点、すなわち「このようなかたちで統治されない」という意志決定がまずもって必要になるのです。この意志から出発すること――統治の過剰に反応して興る、未成年状態からの脱出を図る自由の求心――こそが、ある支配への抵抗を可能にし、歴史的でありながら歴史に縛られたままではない、私たちの可能性の領野を切り開くのです。
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