ファシズムへの反転を防ぐために(試論)

私は最悪の民主政治でも最良の専制政治に勝ると思っている。
 田中芳樹著『銀河英雄伝説』ヤン・ウェンリーの台詞より


現代では「ファシスト」と呼ばれることは、政治家はもとより、一般の人々にとってもこの上ない屈辱です。かつての大戦において、ファシズムを奉じる「枢軸国」は、自由と民主主義を掲げる「連合国」に対して侵略をしかけ、極悪非道の限りを尽くした後、最終的には成敗された。これが私たちの知る、世界史におけるあの戦争の物語です。私たちの生きる今の時代は、この物語の延長線上に位置づけられていますから、ファシストとは反自由・反民主主義を掲げる「ろくでなし」の代名詞となっているのです。

あの戦争でファシズム陣営に立って戦った大日本帝国は、敗戦後、ファシズムを真っ向から否定することで、日本国として新たなスタートを切りました。ファシズムは、否定し、拒絶し、絶滅すべき「悪の思想」であり、大日本帝国時代のファシストたちの歴史は、極悪人の心理心情を誰も理解しようとしないように、もはや関心を向けることも厭わしい「忌まわしき記憶」となりました。

ファシズムを絶対悪とする教義自体は、戦後日本が新たな道を歩み出すために必要ではあったのでしょうが、しかし、今ではファシズムについて学ぶことすら、まるで汚物に触れることのように忌避され、学校教育でも「ファシズムとは何か」をまともに教えてもらえません。おそらく国民の大半は、ファシズムは「いけないこと」とは知りつつも、では何が「いけない」のか、と問われてもまともに答えられないでしょう。結果、国民のファシスト理解は「いけないことをする連中」程度に留まり、ファシズムやファシストというコトバは「馬鹿」や「阿呆」をちょっと「意識高め」にしたものと成り果てました。

戦後日本がファシズムの否定から始まったにも関わらず、当の否定したファシズムが何なのか、言い換えれば、戦後日本は「何を否定したのか」が不明瞭というのは、これは大変な問題であると思います。それは、日本国と日本国民が、己のルーツを知らないという事です。ルーツを辿るとは、自分が何者なのかを探るということです。国史は、その国や国民のルーツを構築するものですが、故に国と国民をかくたらしめている原理は何のかを教えます。私たちは国と国民の歴史の中から自分たちのアイデンティティを見出し、未来にあるべき姿を素描するのです。

今、日本は時代の変革期に差し掛かっているように思われます。誰もが、現状のままではいられない、何かを変えなくてはならない、と感じている。それは、部分的にではあっても「戦後日本」からの脱却を意味します。しかし、戦後のルーツがファシズムの否定から入ったことを考えれば、戦後からの脱却は、ややもすればファシズムへの「反転」になりかねない。これには注意しなくてはなりません。けれど、日本国が戦後を始めるために拒絶したファシズムという「大悪党」の姿がおぼろげで、ルーツがわからない。これでは、仮に「反転」していたとしても、私たちは「反転」したことにすら、気付けないかもしれない。

このような危機感のもと、「ファシズム」の、その行動の理念、問題意識、そしてその実現のための手段等々を、汚物に触れる覚悟で勉強しているところですが、自分なりの理解の整理として、いったん「ファシズム」とは何かを概論的にまとめてみおうと思い立った次第です。以下、多々誤りはあるかと思いますので、ひとつのメモ程度に捉えて頂ければ幸いです。

さて。現代の私たちにとってファシズムは、この人間世界のあらゆるネガティブな要素を結集したような思想・体制であり、そこからはポジティブな教訓を抽出するのは不可能であり、故に再検討・再評価される価値など一切ない「ゴミ屑以下」であって、遠い過去に滅ぼされた後は、現代の私たちにはまったく縁もゆかりもない存在となっていて、仮に今でもファシストがいるとすれば、そいつは悪を悪と知りつつ崇拝する悪魔崇拝者、それも飛び切りの狂信者で、抒情酌量の余地もない危険人物である――と、ぼろくそなイメージしかないでしょう。

私はファシズムを擁護するつもりはないですけれど、一方的なレッテル貼りは、宗教であれ文化であれ、その対象への偏見を生み出してしまい、理解を深めることへの大きな妨げになります。それに、私が思うに、ファシズムは私たちにとって、そう遠い存在でもなく、ふとした瞬間に顔を覗かせる、身近な政治社会的心理であって、このレッテルは、もしかすると、私たちの精神に潜むファシズムへの傾向性や親近感に被せた蓋であって、ファシズムとは、私たちにとっての社会的トラウマで、ある種の社会的病理の原因となっているのかもしれません。

トラウマを呼び起こすことは、多くの人にとって耐え難い苦痛となります。しかし、その正体を直視しなければ、精神の病は癒えないのです。そこで、レッテルを剥がし、その奥にあるトラウマに接触するための最初の「切り込み」を入れるべく、まずざっくりと、ファシズムという思想・運動の定義を表してみます。すなわち、

「ファシズムとは【虐げられた者を虐げる者から解放するための闘争】である」と。

もちろん、これではあまりにコトバ足らずですので、これを骨として肉付けしていきましょう。

ファシストというと「独裁」のイメージが強いためか、国家権力を奪って己の支配欲を満たすこと、これがファシズムの「目的」と思っている方もいるでしょう。そういう面もあったでしょうが、思想・運動としてのファシズムにとって、強大な権力を掌握することは、あくまで「目的」を達成するための「手段」に過ぎません。

ではその「目的」とは何か。その前に、ファシストたちの「問題意識」を見ていきましょう。

まず、かれらの目に映っているのは、時代の荒波に揉まれ、自己を守る力もなく、ただただ虐げられるしかない一群の人々です。たとえば、ワイマール期ドイツにおいて、第一次大戦の賠償金支払いのため生じたハイパーインフレと恐慌とで職を失った大量の労働者。日本においては、昭和恐慌と急速な都市化によって、生活に困窮する貧農たち。こうした人々が巷に溢れていました。

一方、人々の危機的状況を前にしても、政治家は相も変わらず政争を繰り返すばかりで有効な手を打たず、資産家や大地主は人々の貧窮につけこんで私腹を肥やしている。人々の生活はもはや限界に達しており、国家国民の危急存亡の秋だというのに、支配者層は弱者を虐げるばかり。これではいけない。この「虐げられた者」たちを何としてでも救わなければ、国も国民も滅んでしまう――これが、ファシズムという運動の問題意識であり、ファシストたちの運動の原初的動機でした。

ファシストの掲げる「虐げられた者」の解放は、なかなかに徹底していました。ナチスの『25カ条綱領』では、国民の権利と義務を全て同等とすること、社会保障を強化すること、貧しい家庭の子弟に国費で教育すること、大企業の利益を分配すること等が掲げられています。

また、後に二・二六事件等を理論・思想面で支えた北一輝は『日本改造法案大綱』において、女性の社会進出、言論の自由の確保、労働者の待遇改善、児童の教育機会の確保等を主張しています。

このように、ファシズムは性別や階級や身分や家庭環境に依らない、国民の完全な平等を志向していました(とはいえ、ナチスは女性の労働参加には消極的でしたが)。なお、ファシストの少なからずが、フランス革命の標語であります「自由・平等・博愛」にシンパシーを感じていたことは注目されるかと思います。ファシストは、その行いの是非は別として、人間の人間性を取り戻すことを目指し、その道具として国家権力を用いようとしていたのです。

とはいえ、ファシズムの目指す「完全平等」は、当時、社会民主主義や共産主義の目標とするところであり、思想上の斬新さはありませんでした(ファシズムは「アカ」と何も変わらないではないか、と度々批判されました)。では、何がファシズムをファシズムたらしめているのでしょうか。

2点ほど、その特徴を挙げてみたいと思います。

ひとつは「『虐げられた者』のためであれば『虐げる者』を、暴力を含むあらゆる手段で排除しなければならない」とした点です。

私たちの「常識」からすると、民主政体であるからには、困窮した人々の救済を掲げる政党なり政治家なりに選挙で投票するか、あるいはそういう政党を立ち上げて問題を解決すべきだよね、となるところですが、ファシストの政治・社会観においては、政治家はだれも富裕層の言いなりで、人々の救済を掲げる政党や政治家であっても、政権に就けば、民主政治の原理に屈して、結局は虐げる側に回ってしまう。民主的な解決は期待できない、一方、人々の生活はもはや一刻の猶予もないほど追いつめられている。そこで、やむを得ない最終手段として暴力が正当化されるのです。

ちなみに、ファシズムの主な担い手は、プチブルと呼ばれるところの中産階級出身者でした。自分が食べていけるくらいの経済力はあるし、国際情勢や社会問題について思案できるくらいの教養も身に着けていたけれど、国家の支配層に仲間入りするほどの力はない、そういう人々です(なかでも、学校を中退したり、いわゆる「政治浪人」をしていたりと、社会から「ドロップアウト」したグループが急進化する傾向にありました)。

共産主義も、同様の政治・社会観に基づいて、いわゆる「暴力革命」路線を採りましたけれど、共産主義があくまで「『虐げられた者』が自ら立ち上がる」ことに拘ったのに対し、ファシズムはプチブルが運動の主体であり、かれら憂国の想いを抱く小エリートの主導の下、国家・社会を改革することで「虐げられた者」を救済しようとした、この点に違いが見られます。ちなみに、社会民主主義はあくまで議会制度の枠組みのなかに留まる方針を貫いたので、共産主義者やファシストからは「日和見主義」だと批判の集中砲火に晒されることとなります。

第2の特徴は、「虐げられた者」の範囲を、失業者や貧農のみならず、国民、民族、人種といったカテゴリーに拡張したことです。

共産主義であれば、「虐げられた者」は労働者階級であり、「虐げる者」はブルジョワ階級です。そのため、国民、民族、人種に関係なく、ただ労働者でさえあれば救済の対象であり、また運動の主体となりえます。

一方、ファシズムも貧しい労働者階級への援助は惜しみませんが、労働者であればだれでも、というわけではない。あくまで自国民・自民族が優先なのです。それだけであれば、ただの「一国社会主義」なのですけれど、ファシズムは特定の階級や社会的身分ではなく、国民・民族全体が「虐げられている」のだと主張したのです。

戦間期ドイツであれば、広い国土と植民地を持つ英米仏と比較して経済規模が小さく、そこに第一次大戦後の莫大な賠償金が重なって、社会は著しく疲弊していましたけれど、それもこれも、自由主義陣営がドイツとドイツ国民を抑圧しているからだ、そういう想いが国民の心に芽生えていました。

日本においては「アジア人種」の概念が重視されました。アジアは、一部を除いてほぼ全域が欧米列強の植民地となっている。そのなかで唯一、日本のみが近代化に成功し、欧米列強の支配を受けていないばかりか、日露戦争で欧州の大国に勝利した。日本はアジアで欧米列強に対抗できる唯一の国であり、その使命は、欧米列強の支配と差別に苦しむアジアを解放することである、このような言説が大いに持て囃されました。

そしてファシズムは、国内的には「虐げる」支配者層を打倒して政権を奪取し、「虐げられた」貧窮する国民を慰撫する。一方で対外的には「虐げる」自由主義陣営または欧米列強によって、「虐げられた」自民族または人種を抑圧から「解放」しようとする。先にも述べましたように、ファシズムは硬直化した現状が民主的な、常套の手段では変えられないと考えていますから、前者においてはテロリズムやクーデタといった暴力に、後者においては「生存圏」や「共栄圏」の確保のための戦争に訴えることになります。

今では、日本国民もドイツ国民も、ファシストに強制されて嫌々戦場に赴いていたかのように言われますが、「虐げられた」民族や人種を解放するための「聖戦」である、という意識は国民の間にかなり浸透していましたから、開戦を心から喜び、勇んで戦った人々も相当数いました(それくらい熱狂的な支持がなければ、近代戦の遂行は不可能です)。ファシズムの「大義」は、当時の人々を使命感に酔わせる程度にはロマンチックだったのです。

さて。言うまでもなく第二次世界大戦はファシスト陣営の大敗で幕を下ろします。しかし、ファシズムとの「戦争」はそう簡単には終わりませんでした。というのも、自由主義陣営は、ファシズムを完膚なきまでに叩き壊すため、ファシズムの掲げた「大義」を「不当」と裁断しなければならなかったからです。具体的には、ファシズムが問題視していた現状を、自由主義と民主主義は自力で改善できることを誇示しなければならなくなったのです。

まず、「虐げられた者/虐げる者」という支配の構図の抹消、あるいは、隠匿が図るべく、個人主義という思想が輸出されます。つまり、裕福な生活を送る人と、貧乏な暮らしに甘んじる人との違いは、その人の生まれや人種が原因なのではなく、その人自身の資質や努力に因る、いわば「個人責任」だとするのです。これが納得して受け入れられるには、昨日裕福だった人も明日には没落するかもしれず、その逆に貧乏な人でも事業が当たれば一躍時の人となりうる、といった、階層間の流動性が激しい社会でなければなりません。

とまれ、その荒波に乗れず、生活に困窮する者は必ず出てきます。そこで、社会保障制度の拡充と税収確保のための経済成長が図られます。これは首尾よく進み、戦後半世紀で人々の生活水準は大いに向上・改善され、人々の貧困は目立って大きな問題とされなくなりました。しかし、日本をはじめとしてほとんどの国では社会保障費が税収を越えて肥大化し、赤字国債で埋めている。見方を変えれば、ファシズムとの「戦争」遂行のために「戦時国債」を毎年発行しているようなものです。

これらファシズムとの「戦争」は、自由・民主主義の圧勝のうちに進んでいるかに見えましたが、この頃は陰りが差し始めています。裕福も貧乏も、喜びも悲しみも、満足も不満も、もろともに呑み込んでいた資本主義の勢いは、昔日に比べて急速に衰え、富む人が富み、貧しい人は貧しいままに固定化されつつある。また、資本主義の恩恵から外れた人を救済するための社会保障制度も、崩壊寸前にある。自由・民主主義が打ち続けてきた「麻薬」が、利かなくなってきている。

自由・民主主義の「大義」に疑義が生じ、「虐げられた者/虐げる者」の構図が明確に像を結ぶようになれば、そして、自由・民主主義では「虐げられた者」を救済できないと観念されれば、「虐げられた者」を解放するための「虐げる者」への「聖戦」が、再び正当化されかねません。いえ、私たちは現に、ISのようなテロリストグループの出現として、その端緒を目の当たりにしているのです。

日本もうかうかしていられません。現在は自公連立政権の独壇場で、野党はこれに対抗できていない、つまり国民にとっては代替先が存在しないに等しいということです。この状態で自公の政策がいよいよ行き詰まり、国民の間に民主主義への失望感が蔓延すれば、政府与党を「虐げる者」、国民を「虐げられた者」と位置付け、現状打破を口実とした暴力的革命の気運が高まってくるおそれがあります。

その兆候は随所に現れています。昨年、国会議事堂前で「民主主義って何だ」というコールが響き渡りました。法律を賛成多数で決めることは、民主主義のルールに基づくわけですから、このコールは民主主義の定義を問うものではありません。そうではなく、民主主義は自分たち「虐げられた者」を救う力もないのか、という怨嗟の声です。私は誓って、かれらを「ファシスト」呼ばわりはしません。けれど、民主主義への不信感と、現状への強烈な不満を露わにしたかれらの言動のなかに、ファシズムの亡霊の影が、ゆらりと揺れた気配が感じられました。

冒頭で述べましたように、日本の「戦後」は、ファシズムの否定から始まりました。ファシズムの否定とは、民主主義を堅守すること、これに尽きます。ただ「守る」だけではありません。民主主義がどれだけ腐敗しても、不条理が蔓延っても、非合理がまかり通っても、それでもなお民主主義を信頼し、民主主義の枠内で解決する努力を続けることです。いくら「虐げられた者」のためとはいえ、暴力に訴えるならば厳に取り締まらねばなりませんし、「虐げられた者/虐げる者」の図式を安易に取り出し、殊に「虐げられた者」に国民を代入するようなことは慎まなければなりません――換言しますと、「虐げられた者」が存在していても、民主主義に基づいたルールのなかで虐げられているのなら、これを看過するのもやむなしとしなければならないのです。この民主主義への「妄信」こそが、いまの日本のルーツであり、ファシズムの復活を防ぐただひとつの手なのです。
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