国際法という法ならざる法――南シナ海問題を受けて

法の手中にない暴力は、それが追究するかもしれぬ目的によってではなく、それが法の枠外に存在すること自体によって、いつでも法をおびやかす。
――ヴァルター・ベンヤミン『暴力批判論』より



法が守られるためには何が必要か。

人々が法で定められたルールをきちんと守ること、確かにそれも大事だ。しかし、みながみなルールを守るとは限らない。なかには、法を犯して自分勝手にふるまう者もいるだろう。そういう輩に「ルールを守ろうよ」といくら呼びかけたところで、聞く耳などあるまい。

となれば、もはや強制的に法に屈服させるより外にない。ではどうやって強制させるか。罰金なり何なりペナルティを科していく。しかし、それでも従わない輩はいるだろうし、そもそも素直にペナルティを受けず、抵抗する輩もいよう。となれば、最後に採りうる手段はひとつのみ。

「暴力」でねじ伏せること、だ。

法が法として機能するためには、法に従わない者を力づくで従えることが当の法によって担保されているとともに、「法に従わせるための暴力」を行使できる実力機関がなければならない。通常の国家であれば、警察組織がこれに該当する。仮に、警察が暴力の行使を認められていないのであれば、銃器を持った強盗犯が銀行を襲撃しても、警察は成す術がない。「暴力」で法を破る者に対抗するためには、それを上回る「暴力」を擁していなければならない。見方を変えれば、「適法の暴力」と「違法の暴力」を分けるのが法の役割とも言えるのだ。

してみると、いわゆる「国際法」は法としての要件を満たしていない、と言わなければならない。

現行の国際秩序においては、ただ国家のみが主権をもつ。つまり、原則として、国家は自らが定める法以外の法に服するいわれはない。国際法に従っているのは、あくまで、国家が自らの判断、自らの意思でそうしているに過ぎない。その主権国家に「適法の暴力」を振るうことができるのは、米・英・仏・露・中が常任理事を務める国際連合安全保障理事会(以下、安保理)のみだ。

しかし、安保理の警察機能は非常に不安定だ。なぜなら、国際法を守らない「ならず者国家」が出現したとして、それに制裁を科そうとしても、常任理事国のうち一国でも拒否権を行使すれば、議決はお流れになってしまうからだ。殊に国際紛争は、たいがい常任理事国のいずれかが利害関係にあるから、議決が立ち消えになる可能性が非常に高い。残念ながら、安保理は国際法の守護者としては失格である。

早くから安保理の警察機能に見切りをつけた各国は、国連憲章で認められている自衛権の範囲で集団安全保障体制の構築に努めた。たとえば、NATOであったり、WTOであったり、わが国であれば日米同盟であったり。これら法的に認められた「正当防衛の網の目」が相互に牽制することによって、国際法はその体裁だけはなんとか守ってこられたが、国際法を強制できる暴力装置の機能不全は変わらず、国際法の存在意義は違法行為に対する自力救済にお墨付きを与える以上のものではなかった。

しかし、逆説的なことに、戦後の国際秩序を維持しようと努める国々はかえって国際法を遵守することとなった。安保理が最終的な解決手段とはならない以上、「ガチ」の国際法違反が生じた場合、どの国もどの国際機関も対応できず、違法状態が放置される可能性が高い。すると、国際法の権威は地に堕ち、ルールを破る国が次々に現れるだろう。機能不全とはいえ、国際法は曲がりなりにも国際秩序の規準には成り得ているので、それが守られなくなれば国際情勢が不安定になるのは必至。そのため、可能な限り「ガチ」な状況が生じないよう、空気を読み合わなければならなかったのだ。

国際法の権威は、現在までなんとかその面目を保ってきた。国際法やその秩序を脅かす事態は幾度となく起こったが、たとえば北朝鮮のような、世界経済のなかで存在感の薄い国に対しては経済制裁というペナルティを科せば「やることはやった」というアリバイを残せたし、深刻な人権侵害の生じたコソヴォ紛争やリビア内戦等ではNATOが空爆を実施する等、集団安全保障や集団的自衛権の範疇でその法的実効性を示すことができた。

国際法は、経済的・軍事的弱小国相手であれば、なんとかその権能を示すことはできる。しかし、経済制裁を科すと世界経済そのものが崩壊しかねない経済大国や、下手に攻撃すれば世界大戦級の戦争になる恐れがある軍事大国(殊に核兵器保有国)相手となると、すっかり骨抜きにされてしまう。だから、主要国間ではペナルティが必要なくらいの違法行為を犯してはならない、もし違法と認められたならば、多少不満があろうと反抗してはならない、という暗黙の了解があり、それが大国の倫理と責任と品格を定めていた。

しかし、最近になって立て続けに「空気を読めない」行動に走る事案が生じている。ロシアのクリミア併合と、中国の南沙諸島等の実効支配だ。

特に、中国は先日、常設仲裁裁判所でその主張が一蹴され、同国のいわゆる「九段線」にまで主権が及ぶと言う主張は無効であり、同国の進める実効支配は「国際法違反」であることが明確に示された(ロシアのクリミア併合は、国際裁判所の判決というかたちで明確に違法と断定されてはいない)。しかし、中国は一向に引く気配を見せず、むしろ実効支配を更に強化しようとしている。日本をはじめとする各国は、中国に「法の支配」を遵守するよう求めているが、「おまえたちには関係のないことだ」と強気の態度を崩さない。

世界の主要国が最もおそれていた「大国がガチで国際法を無視する」という事態が起こってしまったのだ。

中国ほどの大国となれば、経済制裁も軍事制裁もいずれも現実的ではない(下手に制裁を科せば文字通り世界が終わるかもしれない)ので、中国に南沙諸島等の実効支配を止めさせる方法は、存在しないに等しい。これまで、主要国は「国際法が踏みにじられても、それが大国であれば罰することができない」という国際法の重大な欠陥を、どうにかこうにか取り繕って法の体面を保ってきたのに、中国はその努力の成果を堂々と粉砕して見せたのだ。

このまま中国が意図したとおり、南シナ海を手中に収めれば、「大国であればやったもの勝ち」の前例ができてしまう。そうなれば、今後国際法に違反する国が出現しても「どうして俺たちはペナルティを受けて、中国はお咎めなしなんだ」と不満が噴出するだろう。国際法に基づく世界秩序は、その正当性を失い、世界の「たが」が外れかねない。

とまれ、この事態は国際法、そして国連安保理の「制度設計ミス」に起因するものだ。「法に従わせるための暴力」を大国の軍事力に依存しているというのは、警察が暴力団に凶悪犯の逮捕を委任しているようなもので、当の大国が法を犯したらばどの国も手出しできないのは必定だ。国際法を法として完全に機能させようとすれば、国際法固有の暴力装置が整備されなければならない。

私は、ここで日本国憲法第9条の平和思想が活きてくる、と考えている。

第9条は「国家が戦力を持つと平和と秩序が維持できない」という認識を前提としている。先の中国の例を見ても明らかなように、強大な軍事力を有する国には、違法行為があったとしてもだれもペナルティを科すことができない。だから、真に国際法が守られるためには、国家のもつ軍事力が何よりも邪魔なのだ。

第9条のにくいところは、戦力や戦争の存在そのものは否定していない点だ。あくまで、国家がもつ戦力と国家が行う戦争のみを否定しているのだ。だから、国際法を執行するための「超国家的な暴力装置」を設けることも、そこに日本人が所属して、ふつうの警察官がするように暴力をもって法を守ることも、否定されていない。

もちろん、この「超国家的な暴力装置」など夢物語の産物だと言われれば、いやはや全くその通りなのだが、しかしそれ以外に世界をひとつの法の支配下に置く手段があるだろうか。第9条は、世界を「普遍的な法による平和」に導くひとつの方針を示す稀有な思想なのだが、国内の護憲派は、これを「自分たちが巻き込まれなければそれでいい」の一国平和主義の観点からしか評価していない。なんとも不甲斐ない話である。
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