市民の「権力」を自覚すること――共感を呼ぶ運動への第一歩

まず、いかな理由があろうと事情があろうと、他者を貶め、侮蔑するような発言はあってはなりません。私たちの社会において、これはもはや議論の余地のない自明のルールであり、マナーであります。

先日、沖縄県において機動隊員が米軍ヘリパッド建設反対派の市民に対し「土人」呼ばわりしたことが大々的にニュースとなりました。市民を守るべき責務を負った者が、市民を侮蔑するなど言語道断であり、然るべき処分が必要であることは言うまでもありません。

ただ、このニュースは「自分たちの生活を守るために健気に立ち上がった善良な市民」に対して「市民を人とも思わない横暴な国家権力のホンネが馬脚あらわした」ような構図で報道されましたが、問題はそれほど単純ではありません。

現在、下記の動画がツイッターを中心にネットに拡散しています。元のツイートはどうやら削除されてしまったようなので、同じ動画をツイートしている方のものを掲載していますが、元のリツイート数は4万に達しており、ネット上でそれなり以上の注目を浴びています。




動画は、反対派の市民が、機動隊員に罵詈雑言を浴びせ、「暴力一歩手前」の暴行を加えている様子を写したもの。本件に限らず、機動隊ないし国や県の職員に対する反対派の「暴力的」な抗議活動は数知れず、なかには機動隊員ないし職員に対し、かれらの「家や妻子を知っている」と述べ、家族への危害を示唆するような脅しをかけているケースもあるようです(動画には残っていないので、伝聞ではありますが)。

もちろん、反対派はすべて「暴力的」だと言っているのではありません。おそらく、こうした「暴力的」な手段に訴えているのは、反対派のなかでも極少数の「過激派」だけなのでしょう。また、何度も申し上げますが、機動隊員にせよ職員にせよ、公僕である以上は、どんな理由があっても(たとえ家族を殺されたとしても)、市民を侮蔑するような発言は絶対にしてはなりません。

しかし、あの「土人」発言は、最前線で命の危険(自身のみならず、家族も含めた)に日夜晒されている機動隊員が、その極度の緊張とストレスのなかで、思わず口をついて出てしまったのだろうな、と想像を馳せるくらいはすべきでしょう。

少々話が変わりますが、昨年の今頃に国会議事堂の前で展開された抗議活動では、安倍首相に「ちょび髭」をつけた写真を掲げたり、それをびりびりに破いたり、「お前は人間じゃない。叩き斬ってやる」と豪語したりと、ヘイトスピーチ規制法が成立する前だったとはいえ、ずいぶんと「過激」で「物騒」な言動が目立ちました。

もちろん、反対の意を表明すること自体は、民主主義国家においては国民の権利であります。しかし、これは日本の左派の悪い伝統なのですけれど、「権力」といえばまず国家権力、「権力者」といえば(与党の)政治家で、そういった「権力」に対しては何をしてもいい、と考える傾向にある。すると、市民ないし反対派が持っている固有の「権力」へのまなざしと反省が疎かになる。反対活動がしばしば「過激な」方向に発展するのは、権力を理解するための理論と、その行使の意味を構築するための思想が欠乏しているからでありましょう。

大手のメディアは、市民の側の「権力」についてはほとんど報道しませんが、社会の「情報化」が浸透した現在、ネットに投稿された動画によって、その有様が露出することも珍しくなくなりました。もはや、相手が国家であればいくらでも叩いてよい、という時代ではなく、市民の側も、自らの「権力」を行使するに、その「名分」と「正義」を明確に掲げ、それに貫かれた行動を取らなければ、人々から共感と支持を得られなくなっているのです。

旧来の抗議型の市民運動は、この頃、そのほとんどで惨敗を喫しています。それは情報化社会でもっとも重要な「共感」を集めることに失敗しているからです。その点を踏まえ、戦略・戦術をどう転換していくかが、今後の運動の命運を左右することでしょう。
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