トランプ氏の勝利とマスメディアの敗北――民主主義の崩壊か、真の始まりか

【トランプ氏の勝利とマスメディアの敗北――民主主義の崩壊か、真の始まりか】

アメリカの大統領選挙はトランプ氏の勝利に終わりました。この結果を「意外」と受け取る方は多く、驚愕と困惑を露わにするニュースやブログが至るところで散見されます。

しかし、どうして「意外」に感じるのでしょうか。ひとつの理由は、マスメディアのほとんどが、トランプ氏のネガティブな面を強調して報道していたからでしょう。これは日本に限らず、アメリカにおいても、ニューヨーク・タイムズやワシントン・ポスト等の有力紙が反トランプの論陣を張り、他紙もそれに追随して、トランプ氏を支持する新聞はほんの僅かという状態でした。

この「逆風」のなか、トランプ氏は勝利した。このことからは、マスメディアがこれまで座していた地位や役割の歴史的な変動が見て取れます。

今ほどインターネットが発達していなかった時代では、マスメディアがテレビや新聞で発する情報が「社会」を知る上でのほぼ唯一の手がかりでした。そのため、マスメディアの情報を疑うことや否定することは非常に困難でしたし、またマスメディアは強力な知的権威を備えていましたから、その言説は原則として「正しい」ものとして人々は受容してきました。

マスメディアは「世論」を作り上げ、人々をある方向へと導く強力な誘導力を独占していた。しかし、インターネットが一般化すると、人々はマスメディアが報道しない膨大な情報に触れられるようになります。すると、マスメディアは「自分たちが報道したいことだけを、自分たちの都合の良いように報道している」のだと、見なされるようになる。また、マスメディアの主張とは異なる様々な意見にも触れられるようにもなったので、マスメディアが発する思想に疑念や嫌悪感を抱く人も増え始めます。

とはいえ、これは「冤罪」に近いといえます。というのも、マスメディアは当初から「客観的・中立的」な機関ではなく、人々を「正しい」方向へと導くことを目的とする啓蒙機関だったからです。報道内容が偏ったり、「角度がついている」のはむしろ当然で、新聞や雑誌は、だからこそ多様であることの意義があるのです。

けれど、このことが人々のマスメディア嫌悪を助長することになった。というのも、有力紙の報道と主張は「中流の上」以上の、アメリカでは「エスタブリッシュメント」と呼ばれるエリート層の関心と倫理観に近いものだったからです。すると、貧しさに喘いでいる人々にとっては、暖衣飽食でぬくぬく暮らし、生活の苦しさも知らないエリートが、上から目線で「いけ好かないキレイゴト」を並べているようにしか受け取れない。そのため、マスメディアが「反対」することは、実はエリート層のみが損をするだけで、貧民にとっては逆に利得になるのではないか、というあまのじゃくなリアクションも生まれるようになる。

マスメディアが世論を形成する力は、アメリカに限らず、ヨーロッパや日本でも確実に弱まりつつあります。これが、私たちの社会に何をもたらすのか。ひとつは、大衆が氾濫する河川のように、より「制御困難」な対象となり、人々の欲求がよりダイレクトに社会へ影響を与えることで、ポピュリズム的傾向が強まることでしょう。とまれ、このことを嘆くのは「正しいこと」をわきまえていると自負する「エスタブリッシュメント」層で、大衆にとっては、知的エリートに抑圧されていたホンネの感情や主張がようやく陽の目を見るようになった、という点で福音でもありましょう。

これはこれまでの「民衆の意思が反映されているように見えるけれど、実のところはエリート層が国家・社会をリードすることで安定を得ていた疑似的民主主義」のモデルが、「ガチで民衆(デモ)が支配する(クラティア)真の民主主義」へと転換する可能性を示しています。ウソがマコトになるならば、なるほど好ましいことのように思いますが、しかし後者の「ガチの民主主義」は、歴史上の政治理論家、思想家からは「最悪の統治形態」と評されてきたのです。私たちは、本当に「居心地のよい蒙昧」から醒めてしまってもよいのでしょうか。

トランプ氏が率いるアメリカの今後が、その答えの一端を示してくれるのではないか、と思います。
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