ウラジミール・ソローキン著『愛』――狂気への甘美な誘惑

愛 (文学の冒険シリーズ)愛 (文学の冒険シリーズ)
ウラジーミル・ソローキン 亀山 郁夫

国書刊行会 1999-01
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ちがうね、諸君。もう一度言うが、それはちがう。君たちは若いし、頬っぺたにも熟れた林檎みたいな赤みがさしている。ジーンズだって擦りきれ、声も明るく甲高い。だがね、ステパン・イリイチ・モロゾフが恋人のワレンチーナを愛したような愛し方はどのみち絶対にできっこないんだ。
――ウラジミール・ソローキン短編集『愛』収録「愛」より

こんな語りで開幕すれば、誰もがきっと、かつての、おそらく永遠に失われてしまった、鉄をも溶かすような熱いラブ・ストーリーが、その瑞々しさには似つかわしくない、アルコールでしゃがれた、しかし、だからこそ哀愁の嘆きがどうしようもなく響く声で、紡がれるものと期待します。

けれど、しばしの(2ページほどの)沈黙の後にかれが語るのは、どことなくスチームパンク風ではあるけれど、状況も脈略もつかめない、支離滅裂な昔語り。この時点で、いわゆる「コンテンポラリー」な作品群に親しみのない読者は、面食らって読む気を失うことでしょう。

ロシアの作家、ウラジミール・ソローキンの短編集『愛』は、どのお話も、おおむねこんな調子で展開します。始まりは、ごく普通の、日常的な、人情味に溢れた、郷愁を喚起するようなどことなく懐かしい、そんな読み手が思わず共感を覚える場面が、素朴ではあるけれど、だからこそ春のやわらかな陽ざしのように、読者の心にしっとりと染み込んでいく筆致で描かれていきます。

それに気持ちよくうとうとと微睡んでいると、いつの間にやら「狂気」の世界に突入していることに気付く。暴力、殺人、射精、嘔吐、脱糞に食糞、執拗に連呼される性器、そして「自動筆記」で書かれたように氾濫するイマージュ。

その狂気はあまりにインモラルでエキセントリックではあるものの、お話の流れに取り込まれてしまった読者には、不思議と、その狂気を異物としてではなく、あかたも風が吹けば木々の葉が揺れるように、当然に「そうなるもの」として、呑み込めてしまう。もしかすると狂気は、日常の外側から侵入してくるものではなくて、それどころか、人は己の狂気を日常ないし正気の薄い被膜で包んでいるだけで、それは真夜中のノック、一発の放屁、すがすがしい日の出を前にしての朝立ち、そんなもので簡単に破れて溢れ出すシロモノなのだと言うかのように。

この「狂気」は「人間」としては踏み越えてはならない一線なのですが、本書所収の作品群は、そんなことはお構いなしに、南国のフルーツを思わせる、腐臭と紙一重ながらも誘惑的な芳香を漂わせて、「狂気」の横溢がもたらす快楽――それはおそらく、人間が、排泄器官から「不浄なもの」を排出するときの、背徳的な快感に最も近い――へと、読者を導いていきます。たとえば、絹布を引き割く甲高い悲鳴に似た音色にうっとりとほほ笑む美女が、闘いに敗れた剣闘士へのとどめの一撃で噴出する血潮に歓喜する民衆が、路傍の野糞を無表情に魅入る少年が感じるような、破滅的だけれど抗しがたく耽美な悦楽をくすぐる。いわゆる「エログロ」の表現は、ともすればただの「客寄せ」にしかなりませんが、本書はそんな「下品なエログロ」に陥ることなく、読み手の心の底に潜む悦楽を呼び覚ます読書効果をしっかりと湛えた、力あるテクストの構築に成功しているという点で、たいへん得難い文学作品である、と思います。
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