孔子に学ぶ、学問の意義

勉強が嫌いな子どもほど、親の頭を悩ませる者もいないでしょう。そういう子に限って、しばしば「なんで勉強なんてしなきゃいけないの?」なんて小生意気な質問を大人に投げかけてきます。とはいえ、なにか哲学的な、深い思慮があるわけではなくて、その場しのぎの放言に過ぎないのですけれど、しかし真剣に答えようとすると、これがなかなかに難しかったりします。

親の率直なホンネとしては「学校の成績と学歴が生涯収入を左右するから」なのでしょうが、それだけだとすると、受験が終われば勉強なんて用無しだと言わんばかりで、何とも味気ないですね。一方、世の中には学者や知識人といった、一生を学問と研究に費やす人々がおりますけれど、もし先の子どもがかれらに同じ問いを投げましたらば、もっと気の利いた答えが返ってくるのでしょうか。

私は学者でも知識人でもないので、ビシっとキマった回答はできかねるのですけれど、ひとつの導きの糸として、人類史上屈指の学問大好き先生である孔子様に尋ねてみたいと思います。

「学んで時に之を習う。亦た悦ばしからずや」の一文は、だれしも中学校の漢文の時間に「これ絶対将来何の役にも立たないよね?」と疑問に思いながら暗記させられた記憶があるかと思います。これは孔子の言行録である『論語』の出だしの一文でして、これだけで、孔子の「学び」にかける情熱が伝わってくるようであります。

今回はこの『論語』をテキストに、学ぶとは何か、学問とは何かを考えていきましょう。それでは、まずは『論語』に収録されているあるエピソードを引いてみます。

達港の党人曰く、大なるかな孔子。博学にして名を成すところなし、と。子これを聞き、門弟子に謂いて曰く、吾、何れを執らん。御を執らんか、射を執らんか。吾は御を執るものなり。(子罕第9-207)

達港という村(集落?)を孔子一行が通りかかった時、そこの村人が言いました。「孔子先生は立派な方ですなぁ、あんなにもの知りでらっしゃるのに、まるで出世されていない」と。

世間では、血眼になって自らの栄華栄達のために奔走している者の方が多いのに、孔子は欲に溺れず、自らの能力に驕ることもない、実に謙虚で抑制の利いた人格者だ――素直に読めば、村人はそう称賛したと解せましょう。けれど、ちょっと見方を変えれば、もの知りなだけで高い地位に登れない孔子を、皮肉たっぷりにからかった、とも解せます。

スポーツでも、いろんなポジションをソツなくこなせる選手よりも、ひとつのポジションで並外れたプレーができる選手の方が重宝されますし、注目もされます。何でもできる人というのは器用貧乏になりがちで、エキスパートな人々のなかに埋もれていく傾向があるものです。

というわけで、褒められたんだか貶されたんだかわからないなか、孔子は傍らの弟子たちに言いました。「それじゃひとつ、何かのエキスパートになって有名になってみようかねぇ。馬車の御者がいいか、それとも弓の名手にでもなるか、ま、馬車の御者でよろしかろう」と。

当時は「六藝」といって、理想の人格者である君子が習得すべき、六つの必修科目がありまして、御と射はその科目なのですけれど、他の科目である礼・楽・書・数に比べると、それほど重要とされていませんでした。学校の授業で言えば、図工や体育のようなポジションでしょうか。

孔子は多芸な方でしたから、当然、礼・楽・書・数も完璧に習得しています。ですから、なろうと思えばどのエキスパートにもなれるのです。そのなかで敢えて「御を執るものなり」と答えている。なお、射については『論語』中にいくつか言及している箇所が見られますが、御はまったく話題になっていない。つまり、六藝のなかでも最も注目度の低い科目なのです。

これはどういうことか。もちろん、孔子は馬車操縦のエキスパートになろうと本気で決心したわけではありません。つまるところは、村人の鼻持ちならない発言に対し、おそらく村人にも聞こえる声で、ジョークを飛ばしてみせたのです。なろうと思えば、わたしはどんな分野でもエキスパートになれる、だが、それにいったいなんの価値があるのかね、と。

特定の分野にのみ突出した技能・知識を有している人を、孔子はけっして評価しなかったことが、このエピソードから窺えます。といって、いろんな分野にやたらと通じている人も、評価の対象ではなかった。『論語』に次のようなエピソードがあります。

ある国の総理大臣が、孔子の弟子の子貢という人に言いました。「夫子は聖者なるか。何ぞ其れ多能なる――孔子はなんてずば抜けた才人なのだろう、何でもできてしまいになる」と。師匠を褒められた子貢は得意満面で返します。「固より天、これを縦して聖を将わしめ、又た能多からしむるなり――そりゃそうです、先生は神さまから、この世を正す使命を仰せつかっているのですから、何でもできて当たり前なのです」と。それを聞いた孔子は、総理大臣にこう言います「吾れ少くして賤し。故に鄙事に多能なるなり。君子は多からんや。多からざるなり――いやいや、神さまがどうとかは関係なくてですね、私は若いころ貧乏でしたから、生活のためには何でもやらねばなりませんので、それでつまらない事ばかりできるようになっただけです。優れた人とは、何でもかんでもできる人のことではないでしょう?」と。(子罕第9-207)

ある分野のみ得意なエキスパートも、多才多芸な「何でも屋」も、孔子が理想とする人物像とは程遠いのです。では、孔子はどんな人物を理想としたのか。ここでカギになるのが「学」という概念です。

仁を好んで学を好まざれば、その蔽や愚。
知を好んで学を好まざれば、その蔽や蕩。
信を好んで学を好まざれば、その蔽や賊。
直を好んで学を好まざれば、その蔽や絞。
勇を好んで学を好まざれば、その蔽や乱。
剛を好んで学を好まざれば、その蔽や狂なり。(陽貨第17-442)

これは『論語』のなかでは珍しく図式的で、本当に孔子のお言葉なのか、少々疑問の残るところではありますが、非常にわかりやすくもあります。

仁、知恵、信義、正直、勇気、強い意志。いずれも人間社会では美徳とされますが、それが「学」を欠くとどうなるか。仁はたんなる愚図となり、知恵は傲慢を招き、信義は無暗な諍いに発展し、正直は人付き合いを窮屈にし、勇気はいたずらに社会を騒がせ、強い意志は他者をかたくなに拒む。

「学」がなければ、どんなに徳のある行いを実践しようとしても、それは社会生活に障りをもたらすだけで、だから、ある分野のエキスパートになることも、多芸なマルチプレイヤーになることも、それだけでは意味がないのです。

では「学」がある、とはどういうことなのでしょうか。

一般に「学がある」とは、学校のテストで高得点が取れたり、良い大学を卒業していたり、たくさんの知識を持っていたりする人のことを言うでしょう。けれど、孔子一門にとっての「学」とは、そういうものではないのです。

子夏曰く、……父母に事えては能く其の力を竭し、君に事えては能く其の身を致し、朋友と交わり、言いて信あらば、未だ学ばずと曰うと雖も、吾は必ず之を学びたりと謂わん(学而第1-7)

これは孔子の言葉ではなく、孔子の門下生のなかでもとりわけ理論派だった子夏という方の言葉ですけれど、かれによれば、両親に精いっぱい尽くし、君主には忠臣となって身命を捧げ、友人に話したことはけっして裏切らないのならば、勉強していない者でも、学があるというべきだ、とのこと。

もちろん、勉強して知識を得ることもとても大事です。「何ぞ必ずしも書を読んで、然る後に学と為さん――教科書を読むことだけが学問ではないでしょう」と言った弟子に対し、孔子は「是の故に夫の佞者を悪む――こういう小癪なやつは手に負えない」と嘆いています(先進第11-277)。とまれ、ただただ知識が豊富なだけでは、やはり「学」があるとは言えないのです。

親孝行をする、君主に忠義を尽くす、友人を裏切らない、といったふるまいを自然にできる人には「学」がある。この子夏の発言から、「学」とはどういうものか窺えます。すなわち「学」を身につけるとは、「正しさ」の判断基準を自分のなかでしっかりと構築して、どんなときでもその「正しさ」に則って、為すべきことを自ずと為せるようになることを言うのです。

先に引きました「学」が欠ければどんな美徳を示そうとも返って害になる、というのもこれで説明がつきます。たとえばある少年は、自らの勇気を示そうと「チキンレース」に参加し、崖に向かって猛スピードで走らせた車を、崖っぷちで止めて優勝しました。一方、別の少年は、川で溺れている子どもを見つけ、自分も溺れてしまう危険を顧みずに飛び込み、無事子どもを救出しました。どちらが「勇者」として称えられるかと言えば、間違いなく川に飛び込んだ少年でしょう。

危険に自ら身をさらすこと、そのこと自体が「勇気」ではないのです。だから、チキンレースでは勇気を示せませんし、そればかりか、その「誤った勇気」は無用の事故を招き、社会に不幸をもたらすおそれすらある。真に勇気ある行動をしたいと願うなら、その前に「正しい勇気」の何たるかがわかっていなければなりません。それを弁えていてはじめて、人は美徳を具現化できるふるまいが可能となるのです。

子夏はまた、こうも言います。

子夏曰く、博く学んで篤く志し、切に問いて近く思う。仁、其の中に在り。(子張第19-477)

正しいことを正しく為せる理想的な人物になりたいという強い意志のもとに、いろいろな角度からケーススタディを積み重ねていき、世の中で難しい事件が起きれば「自分であればどうするか」と問いかけて、自分の「正しさの基準」を批判的に鍛え上げていく。その繰り返しにより、仁――普遍的な愛の構えができあがっていく、と。

ここで注目すべきは、学び問うという営みが、自己の修練にのみ関わるという点です。孔子は言います。

子曰く、古の学者は己の為にす。今の学者は人の為にす。(憲問第14-357)

社会貢献が最大の美徳となっている現代人は、この文を「昔の学者は自分本位で学問をしていたが、今の学者は世の為人の為に学問をしている、すばらしいことだ」と解釈して、孔子が人の為に尽くすことを勧めている、と読むかもしれません。しかし、本文の趣旨は真逆です。「昔の学者は、自分が正しさに適う人間になるべく学問をしたものだが、今の連中は世間からの評判ばかりを気にしている、嘆かわしいことだ」と。

世の為人の為の学問は、正しさの基準を、自らの外部に委ねてしまいます。世の流れはすこぶる早く、つい最近まで行列の出来ていたレストランも、流行を過ぎれば閑古鳥が鳴く。この変化の激流のなかに、自己の拠って立つ柱を立てようとしても安定しません。あっちにふらふら、こっちにふらふらしているうちに、何が正しいのかわからなくなって、ほどなく、人生の迷子になってしまうでしょう。ですから、一人前の人間になるには、自らの行動の基準と理由を、自己の外に求めず、自らの手で、自らの内側に打ち立てなければならないのです。そのための絶え無き研鑽こそが「学問」なのです。

半世紀ほど前に生きたスペインの思想家オルテガは、著書『大衆の反逆』のなかで「今日、かつてないほど多数の《科学者》がいるのに、《教養人》がずっと少ない」と嘆いています(P.140)。科学者たちは、自らの専門領域のなかに閉じこもり、そのなかでは豊富な知識と理論を有しているけれど、いざ社会全体のことを語ると途端に無知をさらけ出す。現代の学者は、自分の専門分野で、その分野でしか通じないような研究を積み重ねて、その界隈で名を上げることに汲々とするばかりで、孔子が理想とした「学問」――天下の正道を見極めんとする意志――を修めているとは、到底いえないように思います。

昨今、ポピュリズムという言葉がよく聞かれます。これは大衆迎合主義とか訳されますけれど、オルテガの言う「大衆」は、自分の好みにはうるさいくせに、世の中全体のこととなると、その良し悪しを自分では考えず、判断を専ら外部に求めるので、たとえば「おまえたちの敵はあいつだ!」と自信満々に示されれば、途端にその流れに乗っかってしまう。とまれこれは、近代以降の「分業化」の、当然の帰結とも言えなくはありません。

だが、あくまでそれを「非」とするならば、孔子の説く「学問」の道を復活させなければなりません。つまり、物事の判断の基準をあくまでも自己の内に置き、世の出来事を自分なりに消化して、自らの意思でその良し悪しを吟味する、そういった姿勢を養うのです。孔子ですら、自分なりに正しさの基準を見つけ、「不惑」に至ったのは40歳台とのことで、学問の道はなかなかに長く険しそうですが、それが社会の成熟への、遠いようで最も確実な道ではないかと思います。
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