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今上陛下の御意思はわが国の立憲体制を護持するため否定しなければならないこと

今上陛下の退位を巡る問題については、以前も述べましたとおり、私の意見は「生前退位はもはや『違憲』であるから認めるべきではない」です。なぜなら、戦後のわが国においては、天皇はあくまでも「日本国民統合の象徴」であって、天皇の意思が政治を動かすことは、わが国憲法第4条に定めたる「天皇は…国政に関する権能を有しない」という規定に反するからです。

マスコミは、政府が「陛下の意志を尊重」しておらず、さらに政府が参集した有識者が「天皇は祈っているだけでよい」と発言したと報じて、政府の非情さを喧伝していますが、上に述べましたとおり、天皇の意志が尊重されるなど、わが国の立憲体制においてはもってのほかです。「天皇は祈っているだけでよい」という発言も非難がましく取り上げられていますが、わが国の憲法に照らせば、祈ることすらも余計なのです(一応断っておきますが、国事行為として行う儀式で祈ることは何ら問題ありません)。

今上陛下は、ご自身が天皇としての職務を全うできないことにいたく心を痛めておるようですが、憲法の第5条では摂政が国事行為を代行できるとあります。つまりわが国憲法は、天皇が心身に重大な問題を抱えて国事行為ができなくなった場合をあらかじめ想定しているのであって、もし今上陛下の気力・体力ともに限界を迎えた場合は、皇太子殿下が摂政となって国事行為を執り行えばよいのです(旧憲法下ではありますが、大正時代に前例があります)。

たとえば、目の前で犯罪が起こっているのに、犯人を捕まえようともしない警察官がいれば、私たちは「やつは警察官の名に値しない」と批判します。私たちにとって警察官とは、地位や職業ではなく、市民を守るために犯罪者を捕まえる職務を負った者であって、この職務を全うできない者は警察官の地位を剥奪されて当然と判断します。では天皇はどうでしょうか。天皇は「憲法に定める国事に関する行為のみ行」うとされていますが、しかし摂政の規定からもわかるとおり、天皇という地位において国事行為は、天皇であるために絶対不可欠の「職務」ではありません。警察官は「犯罪者を捕まえる職務を負った者」でありますが、天皇は「国事行為を行う者」ではない。

もうひとつ例を引かせていただきますが、たとえば鳥のハトは「平和の象徴」とされていますが、それはハトが平和を守るために身を粉にして働いているからではありませんし、ハトが平和について何か口出しすることもありません。それなのになぜ「平和の象徴」とされえいるのかと言えば、非常に身も蓋もない話ですが「人間がそうしたから」としか言いようがありません。しかし、私たちはこの「象徴化」によって、ハトを介して平和を愛する気持ちを互いに共有することができます。ここにおいて、ハトは「存在する」だけで十分に「平和の象徴」としての役目を果たせるのであって、ハトが何を欲しようが何をしようが、それがハトの「象徴」としての位置づけには何ら影響しないのです。

天皇にとって、国事行為は「オマケ」に過ぎません。陛下ご自身が国事行為を執り行えなくなっても、天皇という地位にとって何ら不都合はありませんし、「国民統合の象徴」としての機能にも何も支障は生じません。

ここで、戦後わが国において、天皇に「象徴」としての意義しか付与しなかったことの意義と目的とを提起すべきでしょう。旧憲法における天皇は、国家元首であり、国を統治する最高権力者でありました。明治天皇は指導者として腕を振るうこともありましたが、大正デモクラシー等を経て議会政治が発展した時代に即位した昭和天皇は、国政に口出しすることを極力控えました。しかし、それをいいことに、政治家も軍人も、自身こそが天皇の真の意思を(今風に言うと)「忖度」しているのだ、と称して暴走していったのです。

最高の権威をもった者は、仮に本人は政治に関わる意向がなかったとしても、そこに存在しているだけで権力者に利用され、国政に影響を与えてしまう。そのことを反省したわが国は、天皇を純粋な「象徴」として、政治とのかかわりを一切遮断したのです。

極端なことを言えば、わが国の憲政においては「天皇の意思」なるものが存在すること自体が不都合なのです。なぜなら、天皇に意思があれば、天皇の権威を利用しようと企むものが、その意思を「忖度」しているとして、自らの発言力を強化する余地が生じてしまうからです。それは「天皇」という地位は人間にしか就けない以上、仕様がないことではあるのですが、しかしそれが、戦前・戦中に起こったような権力者の暴走に結びつく可能性は十分にあると私は思います。その芽を摘むためにも、われわれ国民は、天皇はあくまでも象徴であり、その機能は「生きてさえいれば果たせる」こと、そして天皇の「意思」を認めたり、さらには国政の場において「尊重」しようという動きは、戦後わが国の立憲体制を脅かしかねない、という認識を再共有しなければならないと思います。
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